2011年3月11日に発生した東日本大震災から10年を迎えます。復興への歩みが着実に進むにつれ、震災の記憶の風化が取り沙汰される中、いまなお行方不明者は2,500名以上にのぼり、原発事故の避難区域を含め4万2千人の方が今も住み慣れた地域から避難生活をしていることなど、震災が残した教訓や問題と向き合う機会が必要だと考えられます。
OKWAVE Starsでは震災以降の東北の姿や今ある問題を切り取った映画の監督やキャストらへのインタビューを度々ご紹介させていただきました。この機会にあらためて特集させていただくことで、震災について振り返る機会となればと思います。
■【OKWAVE】地震情報、寄付先、地震時に役立つQ&Aまとめのご紹介
映画『漂流ポスト』
東日本大震災で親友の恭子を亡くした園美は、心のどこかで死を受け入れられず日々を過ごしていた。震災で亡くなった大切な人へ届けたい言葉・伝えることができなかった想いを綴った手紙が届く【漂流ポスト】の存在を知った園美は現地を訪ねる。
震災の記憶の風化の問題に岩手県陸前高田市に実在する【漂流ポスト】を題材とした物語が紡がれます。
Q撮影の様子についてお聞かせください。
A雪中梨世漂流ポストのある岩手県陸前高田市のガーデンカフェ森の小舎には撮影前日に入って、漂流ポスト管理人の赤川勇治さんにお話を聞いて、届いた手紙を一人で読ませていただきました。その様子が撮られていて実際に使われてもいるので、よりリアルな感じが出ていると思います。手紙は、一文字一文字に思いがこもっていて、書かれた方がどんな思いでいたのかを想像して、まっすぐに向き合わなければならないという覚悟や、震災のことを伝えていかなければならない使命感や責任感も一層感じました。(インタビューはこちら)
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映画『風の電話』
東日本大震災で家族を失い、広島に住む伯母の家に身を寄せている高校生ハル。ある日、伯母が部屋で倒れたことで、自分の周りの人が全ていなくなる不安に駆られたハルは、あの日以来、一度も帰っていない故郷の大槌町へ向かう。広島から岩手までの長い旅、そして<風の電話>に導かれる。
大槌町に実在する<風の電話>を題材に、ドキュメンタリーのようなキャスト陣の即興芝居によってハルの旅路が紡がれていきます。
Q本作に携わったことで新しい発見などはありましたか。
Aモトーラ世理奈震災があった場所に実際に行ってみないと、今どうなっているのか分からなかったし、8年経っても何も変わっていないことがあるということに衝撃も受けました。普段は東京にいて身近にはないことだけれど、地続きにつながっていることだから、知ることは大事だと思いました。(インタビューはこちら)
アニメーション映画『薄暮』
山本寛監督による東日本大震災・復興プロジェクト「東北三部作」最終章として製作された本作は、福島県いわき市に住む幼い頃からヴァイオリンを続ける女子高生・佐智(主演:桜田ひよりさん)と、実家が帰還困難区域となり、いわきに避難してきた男子高校生・祐介の心の交流が、実在の田園風景を背景に描かれていきます。
Q同年代の高校生の役柄を演じていますが、ストーリーをどう受け止めましたか。
A桜田ひより台本を読んでいても田園風景の中にいるのは心地良かったです。東京に住んでいると高いビルに囲まれて空が狭く感じることもありますが、この映画の主題歌「とおく」のミュージック・ビデオの撮影で実際に舞台になっているいわき市に行ったときには、昼間の空も星空もきれいでその心地良さを実感できました。。(インタビューはこちら)
映画『ハッピーアイランド』
東京で暮らす、金ナシ職ナシやる気ナシの23歳の真也は飲み屋の店主の薦めから福島の農家で働くことに。手塩にかけた農作物の収穫や、彼のボス正雄の農業への誇りに触れるうち、福島の日々を好きになる。
東京の青年が福島の農家で成長していく姿と震災と原発事故後の福島が置かれている現状を福島出身の監督が描ききった映画です。
Q『ハッピーアイランド』の企画立ち上げについての経緯をお聞かせください。
A渡邉裕也僕が高校を卒業する頃に震災がありました。僕の地元の福島県須賀川市は津波被害はありませんでしたが、その後に原発のことがあって、実家の農家では風評被害で野菜が売れなくなりました。その中で、愚痴も文句も言わずにただただ野菜を作り続けた祖父のことをとても格好良いなと思っていました。(中略)普段ニュースを見ていてもそういう人間の尊い部分が紹介されることはないと感じていて、それを題材にして映画を撮りたいと思いました。
吉村界人この映画では、普通にドラマや映画の仕事をするのとは少し違う気持ちになりました。俳優の仕事の役割はこういうことを代弁することだとも思いましたので、責任感のようなものを感じました。(インタビューはこちら)
ドキュメンタリー映画『願いと揺らぎ』
宮城県南三陸町戸倉地区の小さな漁村「波伝谷」の日常に2005年から密着し続けた我妻和樹監督によるドキュメンタリー映画第2弾。震災から1年後の地域行事「お獅子さま」復活への道のりを通じて、復興に向けて歩み続けた人びとを映し出しています。
ひとつの地域の住民の心の動きを追った作品に触れることで、一括りにされがちな被災地それぞれの事情に関心をもっていただくきっかけになるのではないでしょうか。
Q震災前に撮られた波伝谷のことを映画『波伝谷に生きる人びと』としてまとめあげられましたが、『願いと揺らぎ』では震災後のことを記録しています。映画としてまとめようとしたきっかけをお聞かせください。
A我妻和樹震災から1年近くが過ぎ、ある程度落ち着くと、被災された方々が震災前の生活に思いを馳せるようになっていきました。その中で、波伝谷で一番大事にされている行事である「お獅子さま」を復活させたいという声が上がりました。(中略)波伝谷の人たちにとっても、自分にとっても大事な行事を復活させる過程を撮っていけば、何かを伝えられるのではと思いました。つまり、被災した方々が自分たち「らしさ」を取り戻す過程をカメラに収めようとしたのです。(インタビューはこちら)
ドキュメンタリー映画『一陽来復(いちようらいふく)Life Goes On』)
震災から6年後の岩手・宮城・福島の被災3県で生きる市井の人々の姿を通じた、東北、引いては日本の現在を包括的に捉えたドキュメンタリー映画。ユンミア監督は後述の『サンマとカタール 女川つながる人々』のプロデューサーとして撮影にも同行した経験から本作を企画し初監督。被災地を切り取りながら、むしろ観ている“被災しなかった側”の背中が押される映画でしょう。
Q『一陽来復 Life Goes On』を撮るきっかけをお聞かせください。
Aユンミア東北の状況は毎年変化しています。何年経ったからもういい、ということはなく、5年目なら5年目の、6年目なら6年目のその時にしか見えない光景があるので、それを映像に残すのは後々必ず意味があることだと思いました。(中略)今しか撮れない6年目の姿を被災しなかった者である私が映像として残していかなければと思いました。(インタビューはこちら)
『ハルをさがして』
2012年の夏、福島から東京に自主避難していたチエコが故郷に残してきた愛犬“ハル”が行方不明になり、一緒に探しに行って欲しいと言われたノボル達は淡い期待を胸にチエコとの同行を決める。ハルを探す4人の中学生のひと夏の冒険譚。
中学生たちの福島での“ひと夏の冒険”は、観る世代によっては「スタンド・バイ・ミー」的なノスタルジーを感じるかもしれませんが、舞台である福島の必然があり、そこに向き合った現実は今もここにあります。
Q台本を読まれてどんな印象を持ちましたか。
A佐藤菜月この作品では原発事故のことも書かれていますが、中学3年生の男の子3人のクスッと笑っちゃうようなところも入っていて、見やすい作品だと思いました。(インタビューはこちら)
ドキュメンタリー映画『サンマとカタール 女川つながる人々』
宮城県女川町の2015年頃までの復興の様子を、中東・カタールからの資金援助による大型冷蔵冷凍庫「マスカー」の建造などのエピソードと交えて映し出したドキュメンタリー映画。本インタビュイーの幹mikiさん(主題歌提供)は震災から10年を迎えるにあたり東北放送にて企画された「tbc復興応援ソングプロジェクト」にも参加されています。
Q『サンマとカタール 女川つながる人々』のエンディングテーマ起用の経緯について教えてください。
A幹miki女川に行くと「女川は流されたのではない。生まれ変わったのだ」と書かれた大きな横断幕が掛かっていて、その“生まれ変わる”というフレーズが私の「光」のサビにも“今日私は生まれ変わるの”と何回も出てくるので、自分と女川町と何か結びつきを強く感じていました。だから「光」が映画に合っていると言われて自分もそう思っていたので、想いが通じて良かった、という気持ちです。(インタビューはこちら)
■【OKWAVE】地震情報、寄付先、地震時に役立つQ&Aまとめのご紹介
「OKWAVE Stars」の母体サイトのQ&Aコミュニティーサイト「OKWAVE」では、東日本大震災をはじめとする大規模災害発生に際して、防災や災害が発生したときに役立つQ&Aなどを蓄積・紹介してきました。
合わせてご参照ください。
【OKWAVE】地震情報、寄付先、地震時に役立つQ&Aまとめ
「OKWAVE」大規模災害カテゴリー
「地震」についてのQ&A一覧
QOKWAVEから皆さんに質問
3.11を振り返って、その後の10年で被災地についての見方にはどんな変化がありましたか? また、日本各地で大型自然災害がたびたび発生する中、皆さんの防災意識や備えに何か変化はありましたか?
ぜひ、みなさんの回答をお寄せください。