Vol.1018 山里孫存(ドキュメンタリー映画『サンマデモクラシー』について)

ドキュメンタリー映画『サンマデモクラシー』

OKWAVE Stars Vol.1018はドキュメンタリー映画『サンマデモクラシー』(公開中)山里孫存監督へのインタビューをお送りします。

Q 本作の企画を立ち上げたきっかけをお聞かせください。

A山里孫存友人のお父さんが「サンマ裁判」の裁判官の一人だった、という投稿をFacebookに上げていたんです。僕は沖縄テレビに在籍して、長年、沖縄のことはいろいろ取材して知っているつもりでしたが、「サンマ裁判」のことは知らなくて興味を持ちました。友人にも話を聞いて、企画書を書きましたが、当初に興味を持ったのは琉球漁業株式会社が起こした「第2次サンマ裁判」と呼ばれるもので、アメリカ側と琉球政府裁判所の戦い、というイメージで企画を立てていました。その後、ブラッシュアップしようと過去の新聞記事などを調べていくと、そもそも「第1次サンマ裁判」があって、そちらは玉城ウシさんという魚の卸売業の方が起こしたと知り、さらに衝撃を受けたんです。お名前から察するに“おばぁ”(※おばあちゃん)に違いないと。勝手な思い込みでしたが、そんな方が裁判を起こしたということが自分の中ではビッグバン級の驚きで、そこから俄然、リサーチにも力が入りました。ただ、かなり昔の話ですから、玉城ウシさんのことを知っている人の当時の証言を得ることはできなくて、ドキュメンタリー作品としては証言不足なところが危惧されました。そこに構成作家から「落語に乗せたらどうか」という提案があって、通常のドキュメンタリーよりも人物がイキイキと引き立つのではないかと、この作品のスタイルに至りました。

Q サンマ裁判が沖縄復帰運動のうねりにつながっていったというのが驚きですね。

Aドキュメンタリー映画『サンマデモクラシー』山里孫存「沖縄復帰運動の起爆剤になった」というキーワードは友人が最初にそのように紹介していたので、自分の中にはそれが起点としてインプットされていましたが、玉城ウシさんが起こした裁判がどうつながっていったのかを調べていくと、瀬長亀次郎さんのような沖縄で語り継がれている政治家と結びつくエピソードも出てきて、そう言っていいんだなと思って構成していきました。

Q 玉城ウシさんの弁護を務めた下里恵良さんも面白い存在ですが、沖縄で知られた存在だったのでしょうか。

Aドキュメンタリー映画『サンマデモクラシー』山里孫存おそらく知る人ぞ知る存在だったのではないでしょうか。こうやって映画になったりテレビで特集したことで、下里さんが沖縄の戦後史と相まって面白い人物だったと再認識されていく流れが生まれていますが、これまでは全く取り上げてこなかった人物だと思います。この映画には沖縄テレビの古いアーカイブ映像をたくさん使っていますが、「下里恵良」と検索してもアーカイブからは全く出てこなかったんです。ただ、琉球政府立法院の議員だったことや、米軍基地の軍用地の地主さんたちの交渉窓口の委員長を務めてもいたので、そういうリサーチから立法院議会の映像を見ていくと、下里さんが映り込んでいるのを見つけることができたので、そうやってアーカイブから見つけ出して使っていったんです。だから、今は検索すればたくさん見つかりますが、この映画を作る前には、下里恵良も玉城ウシも、もうひとつの裁判として出てくる友利隆彪のことや平良牧師のエピソードも、今の時代の人たちにはちゃんと伝わっていなくて、そんな方たちがいて、沖縄の復帰に至るアメリカへの抵抗や闘争があったのだと、こうして改めて光を当てることができて、良かったと思っています。

Q 川平慈英さんのナレーションも素晴らしいですね。

A山里孫存他の人にあの味は出せないですよね。アナウンサーたちもあれは真似できないと話していました。独特のリズムとテンポで、相当の情報量もあるのに、それを押し付けることなく伝えられて、言葉がすんなり入ってくるのですごいなと思いました。

Q 本作への沖縄の方々の反応はいかがだったのでしょう。

A山里孫存最初に5月15日・復帰の日に関係者向けの試写会を開きました。沖縄のことに詳しいメディアの方々を中心に観ていただきましたが、サンマ裁判自体もそうですし、玉城ウシ、下里恵良への反響が大きかったです。沖縄では7月3日から劇場公開されていますが、沖縄の人にとっては血が騒ぐだろうなと感じています。沖縄に暮らす人の心の根っこにあるものが刺激されたようで、鼓動が高鳴ることを沖縄では「ちむ(肝)わさわさ」「ちむどんどん」と言いますが、劇場で話をした方々からはそんな感想をお聞きしました。沖縄復帰運動を知る人は当時の熱さを思い出すだろうし、それを知らない世代からも「この出来事からエネルギーをもらった」と言われました。沖縄にこんなにも熱い時代があったということに「お前ら、もっとがんばれよ」と言われている感じがしました。

Q 作り手としての新しい発見はありましたか。

A山里孫存この映画をご覧いただくと、落語に乗せて話が進んでいきますし、これまでのドキュメンタリー作品とはだいぶ違う印象を受けると思います。僕にとっても新しいチャレンジでしたし、新しいアプローチとして成果が出たのかなと思います。今回、沖縄テレビのアーカイブ映像を活用したことで、過去の映像をただ整理するだけではなく、どうやって活用していくかを考える必要があるなと感じました。来年は復帰50年という節目でもあります。沖縄テレビは沖縄で一番古参のテレビ局ですので、そこは他社に対する強みだとも思っています。今回、アーカイブをもとに当時こんな出来事があったと伝えるだけではなく、ストーリー性を持たせて描いたことで、古い映像にもう一度命が宿るような感覚になりました。これは古くて新しいアプローチだったのかなと思います。

Q 今後作りたいものはいかがでしょう。

A山里孫存今も自分の中で企画をいくつも抱えていますが、いずれも沖縄のことです。もっと沖縄のことを知ってほしいし、沖縄のことを愛してほしいと、これまでもその気持ちで発信してきましたので、日本全国ウチナーンチュ化計画と言いますか(笑)、我が事のように沖縄のことを考えていただけるようになれば、日本にもっといい未来が待っているのではないかと思います。

Q 山里孫存監督からOKWAVEユーザーにメッセージ!

A山里孫存沖縄からの戦後史の映画と言うと、何となく硬さや辛いものを連想してしまうかもしれません。ですがこの『サンマデモクラシー』は楽しく観やすい作品になっています。ぜひまずは楽しんで、こんな時代があったんだ、こんな出来事があったんだと感じていただきたいです。その先に、沖縄について何か想いが芽生えれば、もっと深く知っていただける機会になれるのではないかと思います。

Q山里孫存監督からOKWAVEユーザーに質問!

山里孫存沖縄は日本に復帰した、ということを皆さんは知っていたでしょうか。
最近の沖縄では、慰霊の日・6月23日はともかく、5月15日が何の日か聞いても知らない子どもが増えていますので、ぜひこの映画から感じ取っていただければと思います。

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■Information

『サンマデモクラシー』

ドキュメンタリー映画『サンマデモクラシー』ポレポレ東中野ほか全国順次公開中

統治者アメリカを相手に人々が訴えたのは、「民主主義とは」なんだ?という単純な問いかけだった。
米軍の占領下にあった沖縄で、ひとりのおばぁが起こしたサンマの関税に関する裁判を入口に、自治権をかけて統治者アメリカに挑んだ沖縄の人々ドキュメンタリー。市民と政府の民主主義を巡る闘いに迫ったのは沖縄テレビ。監督は『ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記』のプロデューサー、山里孫存。ナビゲーターは、うちな〜噺家 志ぃさー、ナレーションを川平慈英が務める。

監督・プロデューサー: 山里 孫存
ナビゲーター: うちな~噺家 志ぃさー
ナレーション: 川平 慈英
配給: 太秦

http://www.sanmademocracy.com/

©沖縄テレビ放送


■Profile

山里孫存

山里孫存(ドキュメンタリー映画『サンマデモクラシー』)1964年、那覇市生まれ。琉球大学社会学科でマスコミを専攻。学生時代は、琉大映研で8ミリ映画製作に明け暮れた。1989年、沖縄テレビ入社。以後、バラエティーや音楽・情報番組などの企画・演出を手がけ、数多くの番組を制作する。沖縄アクターズスクールと共に制作した音楽番組「BOOMBOOM」は、県内だけでなく、全国各地で放送され話題となった。その後、報道部に異動。これを機に「沖縄戦」に関する取材を始め、戦後60年という節目をむかえた2005年には、米軍が撮影したフィルムの検証と調査を続け「むかし むかし この島で」を制作し多くの賞を受賞。2006年に制作したドキュメンタリー「戦争を笑え 命ぬ御祝事さびら!沖縄・伝説の芸人ブーテン」が、放送文化基金賞ドキュメンタリー番組賞・企画制作賞を受賞した。2010年にはドキュメンタリー「カントクは中学生」を手掛け「ギャラクシー賞・選奨」を受賞。
2018年にはドキュメンタリー映画「岡本太郎の沖縄」を製作し、現在、全国で公開中の映画「ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記」でもプロデューサーを務めた。ディレクターとしての最新作は民教協SP「サンマ デモクラシー」。


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