OKWAVE Stars Vol.1074はドキュメンタリー映画『森のムラブリ』(2022年3月19日公開)金子遊監督へのインタビューをお送りします。
Q ムラブリ族を探しに行った経緯をお聞かせください。
A金子遊僕はタイやカンボジアの少数民族を研究していて、これまでに書籍を書いたり写真を撮っていました。それで2017年の2月に6週間のスケジュールでタイ・カンボジアの少数民族のフィールドワークに出た際に、「黄色い葉の精霊」という書籍に書かれているムラブリ族を探しに行ったんです。現地のガイドの方に連れられてタイのフワイヤク村というところにたどり着いたら、ちょうど住み込みでフィールドワークをしていた日本人の言語学者の伊藤雄馬さんと出会いました。彼は10年以上、ムラブリ語を研究していてムラブリ語での会話も堪能でした。出会ったその日に伊藤さんは「ムラブリ族はA・B・Cの3つのグループに分かれてお互い憎しみ合っているけれど、僕はそのグループ同士を会わせてみたいんです」と言っていました。それを聞いて僕は「それなら映画にした方がいい」という話をして、準備をして翌18年に再度現地に赴いて撮影しました。この出会いがなければ映画にはなっていなかったです。大学の先生は長い春休みはフィールドワークができる時期なので、偶然の出会いでしたが、出会うべくして出会ったとも言えますね。
Q ドキュメンタリー映像を撮る上で、完成形は予想できたのでしょうか。
A金子遊伊藤さんの提案の、別々のムラブリ族に会ってもらうプロジェクトを撮ることは決めていましたが、出たとこ勝負ではありました。僕の中で大きかったのはラオスの森の中に住んでいるムラブリ族の存在でした。彼らの森での生活はこれまでに撮影されていなかった世界初の映像になるので、それを自分が撮るというモチベーションが高かったです。ただ、遊動民族であるため、どこにそんなムラブリの人たちがいるのか分からない中探しながら進めていったので、子どもの頃に見た「川口浩探検隊」のような「本当にジャングルの中に少数民族はいるのか!?」というノリで探し歩いて、本当に偶然、ラオスの村でカムノイさんというムラブリ族の男性に出会えたんです。森から降りてきたムラブリの子どもたちとラオスの村で遭遇できましたが、僕としては彼らの森での生活を撮らなければ映画が成立しないので、彼らについていって森の中に入っていった、という過程です。そういう意味では、学術的な調査ではあるけれど、冒険の顛末が収められた作品でもあります。
Q ムラブリ族の方々の人柄はどうだったのでしょう。
A金子遊ムラブリ族はすごく素朴でした。彼らは家族でも家族以外でも何でもシェアします。それは狩猟民のルールなんです。狩猟をして獲れなかった家族がいたら、多く獲れた家族が必ず公平に分けます。成果が少ししかなくてもそれをみんなで分け合うんです。そういう意味ではびっくりするくらい理想的な共同社会ですし、そんな風に暮らせたらいいなとも思います。ただ、タイの資本主義社会の中では圧倒的に貧しい存在です。森の中はお金がなくても暮らせる環境なので、森の中に寝屋を作って小動物や魚を獲ったり、芋を掘って食べて暮らしてきたのが平地に定住するとお金が必要になるので、タイ側のムラブリは、モン族の畑で日雇い労働をしているんです。そんな存在なのでタイ人からもモン族からも酷い差別を受けています。モン族は商才のある民族で、ムラブリ族のその日暮らしのような生き方を「しょうがないね」と評しますが、森の民は資本主義経済に生きる私たちとは全く違うルールで生きているんです。
Q そんなムラブリの共同体には指導者的な役割もないのでしょうか。
A金子遊タイ側のムラブリ族ではフワイヤク村のパーさんという映画の中のインタビューに出てくる長老みたいな人が中心人物のように見えますが、階級制になっているわけではないです。一方のラオス側は全く上下関係がありません。それは必要がないからで、その結果「ありがとう」も「ごめんなさい」もないんです。目上の人だとか隣の人と軋轢があるから謝る、みたいなこと自体がありません。
ラオス側は、原始共産制ではありませんが、核家族がいくつか集まって共同体になっていて、その土地にあるものを採集してある程度食べると、食べ尽くす前に他の場所に移動していきます。そのように残していくことで、芋はまた生えてきますし川に魚も増えますので、そこに戻ってくればまた食べられるということです。村長のような存在や彼らの中に階級がないから何かしなければならないこともなく、ダラダラ過ごしているように見えるかもしれません。彼らの心配は食事と焚き火くらいです。特に焚き火は重要で虫除けのために昼間から焚いています。ムラブリはかつては洗濯や入浴もせず、衣類や身体の痒いところは焚火にかざして対処していましたが、それも衛生観念が違うだけで衛生そのものには気をつけているんです。
Q ムラブリの違うグループ同士の出会いについては、実際の反応はどうだったのでしょう。
A金子遊他のムラブリ族の人食い伝説は根強く残っているんです。年長者から子どもたちにしっかり伝えられているので、他のムラブリに会うのはどこかで怖いと思っています。でも同時に自分たちのコミュニティが変わってきていて、このままでは小さくなっていくし、ムラブリ語を話す人も減っていってしまう、という将来への不安も抱えています。今回、僕らがフワイヤク村のパーさんらに頼んでドーイプライワン村の男しかいないムラブリの集落に会いに行ってもらいました。僕らは初めてだと思って、そういう出会いの場を作りましたが、おそらくこの20〜30年の間にパーさんや歌の上手なロンさんらは他のグループと接触しようとしたり森にいる仲間たちに村で暮らすように少しずつ説得してきたのだと思います。そういう彼らの努力が人食い伝説の恐怖に勝ったのかなと思います。それと、伊藤さんがスマホで撮ったそれぞれのグループの写真をそれぞれに見せて説明したことも大きいです。伝説で語られている刺青がないことや、家族と仲良くしている姿を見て、融和されていったから、異なるグループのムラブリ族が面会するということを受け入れてくれたのだと思います。
Q ラオス側での森のムラブリを初めて映像に収めることに成功した貴重な資料となりましたが、森の険しさについてお聞かせください。
A金子遊結構大変でした。ムラブリの野営地までは歩いて3時間ほどと聞かされていましたが、山を2つくらいは超えてたどり着くまで4、5時間はかかるようなところでした。けもの道みたいなところを連れて行かれたのでどんなところに着くのか不安でしたが、人間が集まって住む場所というものはそんな環境でも落ち着ける場所でした。彼らは近くに川があって体を洗ったり水を飲めるところに滞在しているんです。また、日陰がある場所を選んで野営地を作っていたので居心地はよかったです。彼らからは「もっと奥に行くけど君たちも来るか」と聞かれましたが、これ以上ついて行くと遭難しそうな怖さもあってついて行きませんでしたが、もう少しキャンプに強くなって続きを撮りに行きたいと思っています。
Q ムラブリの森での食事事情についてはいかがでしたか。
A金子遊3種類の芋を掘ったり、たけのこを採って食べていました。川ではヤマメやナマズなどを捕まえていました。撮影時期は乾季だったので小動物はいませんでしたが、鹿やねずみも獲るそうです。それらをラオ人との交易でもち米やうるち米と物々交換しているのですが、どうやらラオ人が一方的にたかられているところがあって(笑)。ムラブリが何も持って来なくてもラオ人は米をあげているんです。1930年代の文化人類学者が書いた本の中に「ラオ人はムラブリにいろんなものをあげていてびっくりする」という記述があるので、少なくともラオ人は80年以上ずっとそうしています。平地のラオ人と森のムラブリの関係はとても良い共存になっていますが、ラオ人からすると大人と子ども、保護者のような気持ちでいるのかなと思います。
Q ラオス側のムラブリ族の映像では離婚してしまう夫婦が出てきますがその理由は普遍的です。
A金子遊離婚するカムノイさんが最初にラオスの村で出会ったラオス側のムラブリです。彼はお酒を飲んだり歌ったりしていましたが、すぐに「何かくれ」と言うんです。音楽が好きで古い端末に音楽データを入れてもらって、端末の充電が切れると村に降りてきて充電して帰るという、まさに現代文明と出会ってしまったムラブリの正直な欲望の持ち主なのかなと思います。それを彼のお母さんがすごく心配しています。カムノイさんは、ラオスの村人からお米をもらってきてはそれを妻のリーさんに捧げて仲直りして欲しいと気遣いしていますが、当のリーさんは「ダメ亭主はいらない」と。これは普遍的な夫婦の問題ですが、ムラブリの現代的な問題にもつながっています。妻は家を守ってムラブリとして森の中で子どもを育てています。ムラブリの寿命は短くて平均寿命が30代ですので、その分、子どもをたくさん産み育てています。女性にはムラブリとしての自負心があっても、男はフラフラとしてしまっています。カムノイさんのような人は村や都会に行ってムラブリから離れてしまうので、それを象徴的に映し出せたのかなと思います。
Q タイ側は森をモン族の焼畑農業で焼かれて平地に降りてきたという経緯とのことですが、そのような環境の変化についてどう見立てていますか。
A金子遊タイ側では、タイ政府による定住化政策もありましたが、やはり森自体が減っているという要因が大きいです。彼らが一つに集まって生活していけるような公共地としての森は、モン族の焼畑農業に限らず、様々な開発で無くなってきているので、タイ側は遅かれ早かれ、森から出てくるしかなかったのかなと、環境を見てすぐに想像できました。
一方のラオス側はまだそういう領域が残されていて、政府もムラブリに住所を持たせるようなことをしていないので、彼らが森で生活できているということはあると思います。タイ側のムラブリとラオス側のムラブリは、タイとラオスの国境を挟んで30年分ほどの差があるのでその比較ができるのが研究者としては興味深いところです。
Q 本作を通じて新しい発見などはありましたか。
A金子遊ラオス側のムラブリへの驚きは大きいです。今や世界はコロナ禍で人と会えないばかりか、気候変動の問題もあり、さらにはウクライナへのロシアの侵攻により、戦争が起きることさえも否定しづらい時代になりました。そんな中でラオスのムラブリの人たちを見ると、まず川があって、ちょっとした道具があって、自生している果物や芋があって、獣は捕まえられなくても魚を獲れれば、結構どこでも暮らしていけるのかなと思いました。家を建てなくても、バナナの葉で雨露さえ凌げれば、あとは焚火があれば暮らしていけるのだと。狩猟採集のキャンプ生活はたくましさが必要なようでいて、宿題や勉強から解放されている彼らは居心地良くダラダラと過ごしています。戦争や大規模災害が起きた時は森に避難すれば、何も持っていなくても何とかなると分かったのが収穫でした。
Q 金子遊監督からOKWAVEユーザーにメッセージ!
A金子遊ラオスやタイの少数民族というと遠いイメージがあると思いますが、この映画を観ていただくとものすごく身近に感じていただけると思います。日本人の祖先の縄文人たちがしていたような生活を今もしていて、その森での生活が大好きな人たちの日常生活を垣間見ることができます。ぜひ森の民を好きになっていただきたいですし、そこから学びとれることもたくさんあると思います。
■Information
『森のムラブリ』
2022年3月19日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
タイ北部ナーン県のフワイヤク村の周辺は、400人のムラブリ族が暮らす最大のコミュニティ。男たちはモン族の畑に日雇い労働にでて、女たちは子育てや編み細工の内職をする。無文字社会に生きるムラブリ族には、森のなかで出くわす妖怪や幽霊などのフォークロアも豊富だ。しかし、言語学者の伊藤雄馬が話を聞いて歩くと、ムラブリ族はラオスに住む別のグループを「人食いだ」と怖れている様子。
伊藤とカメラは国境を超えて、ラオスの密林で昔ながらのノマド生活を送るムラブリを探す。ある村で、ムラブリ族が山奥の野営地から下りてきて、村人と物々交換している現場に出くわす。それは少女ナンノイと少年ルンだった。地元民の助けを得て、密林の奥へとわけ入る。はたして今も狩猟採集を続けるムラブリ族に会えるのか?21世紀の森の民が抱える問題とはいったい何なのか?
出演・現地コーディネーター・字幕翻訳: 伊藤雄馬
監督・撮影・編集: 金子遊
配給: オムロ 幻視社
公式サイト: muraburi.tumblr.com
Twitter: https://www.twitter.com/muraburi
Facebook: https://www.facebook.com/muraburi
(c)幻視社
■Profile
金子遊
1974年、埼玉県生まれ。
映像作家、批評家。
劇場公開映画に『ベオグラード1999』(09)、『ムネオイズム』(12)、『インペリアル』(14)、『映画になった男』(18)が2022年3月より全国劇場公開。プロデュース作『ガーデンアパート』(18) はロッテルダム国際映画祭、大阪アジアン映画祭で上映され全国劇場公開。『森のムラブリ』(19)が長編ドキュメンタリー映画の5作目となる。
批評家として、著書『映像の境域』でサントリー学芸賞<芸術・文学部門>受賞。他の著書に『辺境のフォークロア』『異境の文学』『ドキュメンタリー映画術』『混血列島論』『悦楽のクリティシズム』『光学のエスノグラフィ』 など。共編著に『クリス・マルケル』『アピチャッポン・ウィーラセタクン』『ジャン・ルーシュ』『ジョナス・メカス論集』『アニエス・ヴァルダ』、共訳書にティム・インゴルド著『メイキング』、アルフォンソ・リンギス著『暴力と輝き』など。
ドキュメンタリーマガジン neoneo 編集委員、東京ドキュメンタリー映画祭プログラム・ディレクターを務める。