OKStars Vol.473は終戦前日に起きた知られざる史実を描いた『日本のいちばん長い日』(2015年8月8日公開)の原田眞人監督へのインタビューをお送りします。
Q 『日本のいちばん長い日』に取り組むきっかけは何だったのでしょうか。
A原田眞人僕は1949年生まれで、1950年代に多かった戦争映画を観て育っているのが大きいです。中でもとくに僕が影響されたのはアメリカなどの英語圏で作られた戦争映画で、軍人が軍人らしく、自然なんですよね。一方で、日本映画は大げさな芝居などで軍人を逆に軍人らしく強調しようとされていて、自然に見えないと感じていました。
1967年公開の『日本のいちばん長い日』も当時観に行ったんですけど、ドキュメントタッチで描いているとはいうものの、軍人が目を剥いていたり、芝居が大げさなのに耐えられませんでした。その後に半藤一利先生の原作を読むと、当時は描けないにしても、やはり昭和天皇が前面に出ていましたので、昭和天皇を描くことができる時代にならないとこの素晴らしいノンフィクション作品の映画化は無理なんだなと感じましたね。だから僕の中では『日本のいちばん長い日』は未完成の映画だと思っていたんです。
その後、70年代にはデイヴィッド・バーガミニの「天皇の陰謀」という本が出て大騒ぎになりましたが、この内容については、日本人だけではなく、エドウィン・O・ライシャワーのような知的なアメリカ人も一斉に叩きました。昭和天皇関連“トンデモ本”認定第1号ですね。それから30年経って、今度はハーバート・ビックスが日本の左翼系学者の応援を得て「昭和天皇」という“トンデモ本”を出してしまうんですが、これがピューリッツァー賞をとってしまったんです。日本は日本で、初版から5万部以上も発行したのでベストセラーになっちゃったという。僕は出版当時の騒ぎは知らなくて最近読んだのですが、間違いだらけですよね。それはともかく、これらはネガティブ・キャンペーンだったとはいえ、昭和天皇のことをどんどん描くことができる時代になってきたのかなと。
そして、2006年にはロシアのアレクサンドル・ソクーロフ監督の『太陽』という映画が日本公開されて、僕も初日に観に行きました。映画の内容は真面目でしたけど、昭和天皇を演じたイッセー尾形さんは不真面目でしたね。口をモゴモゴさせたり「あ、そう」を連発したり。これは1945年当時の昭和天皇の癖ではないですよ。老後のみんながよく知っている昭和天皇の癖で描こうということが、間違っていると思いますね。当時の昭和天皇は常人とは違った品格があったはずで、それゆえに、マッカーサーも二度目に会った時には“Sir(陛下)”という敬称をつけて接していたわけです。それをニュース映像などから安易に真似をしてしまうのは浅はかなことだし、そこは慎重にやらなければならない。敬意が足りない、リスペクトの問題を非常に感じました。その時からです。やはり自分が『日本のいちばん長い日』を撮らないとしょうがないと思ったんです。でも、なかなか乗ってくれる映画会社がなくて数年が過ぎ、もうその頃は諦めていました。
その後、2013年秋にプロデューサー2人と別の作品の打ち合わせをしている時に、雑談で戦後70年の話題になって「『日本のいちばん長い日』のリメイクの話はあるの?」と聞いたら「ない」ということだったので、その場で版元の文藝春秋に電話をして聞いてくれたんです。そうしたら「(権利が)空いてる」という話だったので、これはもう放っておくことはないよね、ということで、プロデューサー2人が映画化に向けて動いてくれました。松竹の社長、専務と僕は『わが母の記』以降、良好な関係だったのでこの映画化を即決してくれて、そこから脚本を書き始めたんです。
Q 実際に映画化に向けて動き出してからの準備中のことをお聞かせください。
A原田眞人2013年当時は『駆込み女と駆出し男』の準備中で、その合間に脚本を書き始めたんです。2014年の1月には脚本の第一稿を書き終えて、その2週間後に『駆込み女と駆出し男』の撮影が始まって。撮影の間も第一稿を半藤先生にも読んでもらって、修正点を指摘してもらいました。忙しかったですけど、初めての時代劇と初めての戦争映画の両方が進んでいったので、とても充実していました。
Q 本作で描かれる、当時の政府閣僚たちのやり取りを見ていると何をやっているのだろう…という気持ちになってしまうのですが。
A原田眞人どの年代の人が観てもそうですよ。閣僚たちはバタバタしてるけど何も決められないでしょ。それは今の日本も同じです。日本人の議論下手なところもあって、侵略戦争に突っ走ってしまった部分もあるだろうし、議論できない政治家たちの間隙を縫って軍部が力をつけてきたんですよね。軍部の中にも皇道派と統制派に分かれていて、皇道派が二・二六事件を起こしちゃって。当時のことは、今の我々の感覚では推し量れない部分もありますよね。
僕自身もこの映画を作りながら、なぜ昭和天皇が彼らの行動に口を挟むことができなかったのかを勉強してきましたが、歴史学者の磯田道史さんは「天皇は“神殿の壁”のような扱いを受けてきた」と言っています。軍人たちが上奏と称して、“神殿の壁”に向かって好き勝手なことを喋り立てて承認を得たとし、作戦を実行してしまうということが、満州事変からの15年間、ずっと続いてきたわけです。映画でも描きましたが、昭和天皇は奥ゆかしい方できちんとした教育も受けています。しかし、英国の立憲君主制を教え込まれているので、閣議決定したことに意見を挟んで決定を変えることはできないんですよね。だから日米開戦を避けたいと思っていても、そう言えるところまではいけない。その代わり、首相が覚悟を決めるべきで。
当時、第三次近衛内閣を率いていた首相の近衛文麿は資料を読めば読むほど分からなくなる不思議な人物なんですが、そんな彼が開戦か否かの御前会議の直前、昭和天皇に会議で一言いってくれと頼んだ。近衛公は陛下の前でただひとり足を組むことができる、皇族でもとても特別な立ち場の人ですからね。そんな御前会議で出てきた言葉が有名な「よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ」という明治天皇の御製でした。これは、戦争には反対と解釈するのが一般的なんですが、近衛文麿はフォローしてくれないし、軍部もその言葉を聞き流したんですよね。陛下は数回繰り返したけれど、結局、近衛は黙したまま。挙げ句に軍部を押さえられないといって内閣総辞職。そういう状況で、毒をもって毒を制するしか道がないと内大臣の木戸幸一が言って、東條英機が首相になり戦争に突き進んだわけです。昭和天皇も戦況が良かった時には喜びを表明しなければならなかったけれど、ヒットラーのように局面ごとに国民に「戦え、戦え」と、戦争に駆り立てるような発言はしていませんし、東京裁判でもその点はまったく問題視されていません。いずれにせよ、1944年になって戦局が悪くなってくると、木戸内大臣が昭和天皇を雲の上に押し上げるようにして状況が分からないようにしてしまうんです。
1945年2月になってようやく吉田茂らが首相経験者らの重臣たちに働きかけて、昭和天皇に和平の訴えを毎日のようにするという歴史的事実があります。半藤先生が最近出した「原爆の落ちた日[決定版]」に当時のことが詳しく書かれているんですが、その時もこの映画の中の平沼騏一郎のようにはっきりしたことを誰も言わないんです。近衛文麿も3年4カ月ぶりに天皇の前に現れたと思ったら「軍部の中には共産思想の軍人がたくさんいて、このまま日本が滅びると日本が赤色になってしまう」と和平を訴えるのですが、そんなんだから昭和天皇の「もう一度、戦果をあげてからでないと和平という話はなかなか難しいと思う」という発言につながっていったわけですよ。これを捉えた昭和天皇の戦争責任論があるのは知っていますが、そういう背景があるからこそ、近衛をはじめ信頼のおける人がいない、どうしたらいいのか考えた上での4月の鈴木貫太郎内閣の組閣があったのだろうし、映画もそこから始まるんです。
Q 終戦に反対して玉音放送を阻止しようとした畑中少佐たちの描き方についてはどう考えられたのでしょう。
A原田眞人僕は彼らを狂気だったとは思わないですね。本土決戦の主張は、もちろん僕自身も反対ですが、あの当時の軍人ならあくまでも戦おうという気持ちだっただろうし、大本営にいる軍人は士気も高かっただろうから、認めないけど、純粋さからの行動なんだと思います。そういう意味で、清々しい目つきをもった松坂桃李に畑中少佐を演じてもらおうと。その兄貴分の井田中佐にはスターを使いたくなくて、その精神性をお客さんに発見してもらいたかったので、知名度は高くはないけど実力派の俳優を起用しようと、大場泰正を抜擢しました。このふたりと、椎崎中佐役の田島俊弥は非常に愛着を持ってキャスティングしましたね。軍人だからこういう風に演じるというのではなく、松坂桃李が演じているからこその畑中少佐の自然さとかが出ています。
それは閣僚側も同様で、たとえば、下村情報局総裁は歌人でもあるし、服を何度も着替えたという記録もあるのでそういう人間らしさを入れたり。それはある種のユーモアですけど、そういうところで、この作品の人間くささが出ていると思います。閣僚たちの会議ではみな勝手なことを言っているし、緊急の事態でもまとまらない。その中で昭和天皇と鈴木貫太郎首相、阿南惟幾陸軍大臣の信頼感のようなものを強調したつもりです。
Q 政府と軍部が中心の話ですが、阿南陸相の家族を描いた狙いは?
A原田眞人「家族」が重要なテーマですから。今の日本人には分からないところだと思いますが、かつての日本は昭和天皇が家族の家長みたいなものなので、単に崇めるだけでなく、妻や子どもたちがいる延長上に天皇陛下がいる、という時代でした。
一方で鈴木貫太郎がお父さんで昭和天皇が長男、阿南惟幾が次男という擬似家族的な見方もあるんじゃないかなと。その中で気をつけて描いたのが女性の役割のことです。それを忘れてしまうと家族構成のイメージが弱くなってしまうので、鈴木、阿南のふたりも家族の一員として最初から見せているし、そこでの女性の役割が一歩でも目立つようにドラマの中に入れてますね。
Q 映画としてはこの“いちばん長い日”の出来事を手に汗を握って面白く観てしまいました。
A原田眞人ドキュメンタリーではないのでそれでいいと思います。むしろ面白さが出てこないとダメだとも思いますし。僕も「この人おもしろいな」と人物像に惹かれて作っています。
昭和天皇が東條英機を言い負かすシーンは、東條英機の奏上は史実通りですが、昭和天皇がどう切り替えしたかは記録が残っていません。ナポレオンについて触れた後半の言葉は別のところで語られた引用ですが、前半部分は昭和天皇がウィットに富んだ切り返しをしたらきっとこう言うだろうと想像しました。そうすることで、昭和天皇のことをより興味深く観てもらえるだろうなと思います。
Q 原田眞人監督からOKWaveユーザーに質問!
原田眞人皆さんは歴史を正しく理解していますか?
僕が中学・高校の頃から近代史は学校では習わなかったので間違って解釈していることがすごく多かったですよ。
たとえば、ポツダム宣言はポツダム会談から生まれたと思われていますが、日本の降伏勧告は公式議題には挙げられてないということを知っていましたか?
また、トルーマン米大統領が原爆投下を推し進めたけれど、当時米政府内でも非人道的だという反対派がいたというあまり知られていない事実もあったのを知っていますか?
そういったところから皆さんの歴史観などを聞きたいです。
■Information
『日本のいちばん長い日』
太平洋戦争末期、戦況が困難を極める1945年4月、鈴木貫太郎内閣が発足。そして7月。連合国は日本にポツダム宣言受諾を要求。降伏か、本土決戦か。
連日連夜、閣議が開かれるが議論は紛糾、結論は出ない。そうするうちに広島、長崎には原爆が投下され、事態はますます悪化する。
“一億玉砕論”が渦巻く中、決断に苦悩する阿南惟幾陸軍大臣、国民を案ずる昭和天皇、聖断を拝し閣議を動かしてゆく鈴木貫太郎首相、首相を献身的に支え続ける迫水久常書記官。一方、畑中健二少佐ら若手将校たちはクーデターを計画、日本の降伏を国民に伝える玉音放送を中止すべく、皇居やラジオ局への占拠へと動き始める…。
監督・脚本:原田眞人
原作:半藤一利「日本のいちばん長い日 決定版」(文春文庫刊)
出演:役所広司 本木雅弘 松坂桃李 堤真一 山﨑努 ほか
配給:アスミック・エース、松竹
公式サイト:nihon-ichi.jp
©2015「日本のいちばん長い日」製作委員会
■Profile
原田眞人
1949年生まれ、静岡県沼津市出身。
黒澤明、ハワード・ホークスといった巨匠を師と仰ぐ。1979年、『さらば映画の友よ』で監督デビュー。『KAMIKAZE TAXI』(1995)がフランス・ヴァレンシエンヌ冒険映画祭で准グランプリ及び監督賞を受賞。社会派エンタテインメントの『金融腐蝕列島 呪縛』(1999)、『クライマーズ・ハイ』(2007)から、モントリオール世界映画祭で審査員特別グランプリ受賞の『わが母の記』(2012)や、モンテカルロTV、映画祭で最優秀監督賞を受賞した『初秋』(2012)など小津安二郎作品に深く影響された家族ドラマまで、作品の幅は広い。『ラストサムライ』(2003)では俳優としてハリウッドデビュー。2015年には念願の初時代劇『駆込み女と駆出し男』が公開された。