OKWAVE Stars Vol.558は宮城県女川町の復興を追ったドキュメンタリー映画『サンマとカタール 女川つながる人々』(全国順次公開中)のエンディングテーマ「光‐女川リミックス」を担当した幹mikiさんへのインタビューをお送りします。
Q 幹mikiさんと女川町との結びつきについてお聞かせください。
A幹miki4年前(2012年)になりますが、石巻市役所のロビーでコンサートをさせていただいた時に、女川町の仮説商店街でカフェを経営されている方が歌を聴きに来てくださったのがきっかけです。「石巻から30分ほどの女川も復興に向けて頑張っているから、音楽で町を元気づけてほしい」と言っていただいて、その日のうちに女川町のカフェでライブをさせていただいて今に至っています。
Q では『サンマとカタール 女川つながる人々』のエンディングテーマ起用の経緯について教えてください。
A幹miki2015年12月23日に女川駅前にできた新しい商店街の町びらきイベントがあり、歌いに行きました。その日はニュース番組の方がたくさん来ていて、監督のこともその中のお一人だと思いながら、インタビューを受けていました。それが実はドキュメンタリー映画の撮影で、監督から「CDはありますか」と聞かれて渡したのがきっかけです。少し経って、「幹mikiさんの「光」という曲が、他の多くの候補曲の中から選ばれました」とスタッフの方から連絡をいただいて、驚きました。女川に行くと「女川は流されたのではない。生まれ変わったのだ」と書かれた大きな横断幕が掛かっていて、その“生まれ変わる”というフレーズが私の「光」のサビにも“今日私は生まれ変わるの”と何回も出てくるので、自分と女川町と何か結びつきを強く感じていました。だから「光」が映画に合っていると言われて自分もそう思っていたので、想いが通じて良かった、という気持ちです。
Q その「光‐女川リミックス」ですが、元々は違うシチュエーションで書かれた曲なのですよね。
A幹mikiそうです。12年前に高校を卒業して専門学校に入った頃に母へのありがとうの気持ちを伝えるために作った曲なので、なぜか女川町の状況にも合っていて、不思議な気持ちです。
今回は“女川リミックス”ということで、既にCD化されていた「光」を女川の人たちに向けて改めて作りたいと思って、2月に再レコーディングをさせていただきました。今まで自分が見てきた女川のことを想って「光」を歌いました。ストリングスが加わって壮大なアレンジになっています。
Q 女川で歌ってきた時の皆さんの反応はいかがでしょうか。
A幹miki女川の人たちは聴く姿勢が真っ直ぐで、歌詞の一語一句、メロディーの一音一音をしっかりと受け止めてくださって何かを吸い取るように聴いてくださる方が多いです。何か自分のつらい過去と向き合って聴いていらっしゃるのか集中力がすごいなと思います。そして皆さんとても温かい人たちが多いとも思いますね。
Q 女川を訪問し続けて、復興の様子はいかがでしょうか。
A幹miki3年前は崩れたビルや建物のがれきがまだ残っていましたが、次第に撤去されていきました。女川は防波堤を作らず、土地の嵩上げをしているので、きれいにはなっていますが、今はまだ何も無い状態です。震災から少しずつ復興していますが、まだまだこれからという状態ではないでしょうか。そして、いまもまだ仮設住宅に住んでいらっしゃる方も大勢います。マイナスからの始まりだったのでやっと今年ゼロに戻った感じではないでしょうか。
Q 震災の時は幹mikiさんご自身は?
A幹miki自宅のある宮城県の蔵王町にいました。地震そのものの揺れは大きかったのですが、それよりもやはり沿岸部の方たちが大変でした。当時、自分たちのような山育ちの人は、海側の人たちのことを助けたいと思っている方はたくさんいました。
Q この映画の主題になっているカタールが資金援助した冷凍冷蔵施設「マスカー」のことについてご感想等をお聞かせください。
A幹miki女川に行くたびに、大きな建物ができているな、とは思っていました。ですが、それが冷凍冷蔵施設だったということは私もこの映画で初めて知りました。自分の身近な方が仮設住宅を出られたというような話は聞けても、天然ガスで有名な中東の国が支援してくれて20億円かけてこの冷凍冷蔵施設を建ててくれたということは知る機会がなかったです。でも、女川町は町長さんをはじめ、町を上げて復興を進めているのが県内でもよく知られているので、その結果なんだなあと感じました。
Q 映画をご覧になって、何か新しい発見はありましたでしょうか。
A幹miki「女川町復幸祭」で福男ならぬ“復幸男”を目指して皆さんが走るシーンに感動しました。「津波が来たら高台へ逃げる」という津波避難のことを伝えるために企画された行事で、「逃げろ」の声にみんなが高台を目指して走るんですが、そこはぜひ観ていただきたいです。何百年と語り継いでいける新しいお祭りが始まったと思います。
Q 幹mikiさんがアーティスト活動を始めたきっかけをお聞かせください。
A幹mikiとくに子どもの頃から歌手を目指していたということではなく、中学生の時に宇多田ヒカルさんを見て感動したことはありましたけど、それほど音楽を聴いてきたというわけでもありませんでした。きっかけは高校生の時に母とカラオケに行って歌った時、母が感動して泣いてくれて。こういう声でそういう歌い方をするのねと言われたことが嬉しくて、それから歌を歌い始めました。その当時の私はいじめもあって、人前で目を見て話すこともできなかったので、それが一歩前に踏み出せる出来事でした。自分が何を考えているのかを歌詞に書いたりすることで、自分を表現していくことに出会えたことがとても大きかったです。歌手になろう、ということよりも自己表現できる手段に出会えたことがありがたかったです。
Q どんな表現を心がけていらっしゃるでしょうか。
A幹miki心の内側に何かを溜め込んで本音が言えなかったり、泣きたくても泣けなかったりして、心が固まっている方が多くいらっしゃいます。音楽を通して心が固まっている人がいたらそれを溶かして、私の音楽で一歩踏み出す力になれればという想いでいます。涙を流して感動していただくことは、最近では涙活というのだそうです。何かを踏み出す一歩になっているのかなと思いますので、寄り添うように歌うことを心がけています。
Q 音楽を作る時はいかがでしょう。
A幹miki自分で歌詞も曲も作っていますが、どうやって作っているのかとか、どうしたらそれが出てくるのかは説明できないんです。何かに感動したり心が動かされた時にそれを言葉に残しておきたい、それにメロディーを乗せてみんなに聴いてもらいたい、そういう気持ちです。震災後の2年間はつらくて曲をつくることができませんでした。以前には蔵王町から仙台までの電車の中で歌詞を書いて、帰りの電車の中で曲を作るということをよくやっていました(笑)。電車に乗っているのは37分間なんですが、いろんな目的を持って電車に乗って来る人たちを見て、そのポジティブなエネルギーをもらって、黙々と作っていました。
Q 地元をベースに活動をされていますが、今後の展望などは?
A幹miki活動の幅をもっと広げたいですが、都会に出て活動するというよりも、自然の中で生活しているからこそ自然体で音楽を生み出せているのだと思います。ですので地元の大自然に囲まれて生活をしていることに意味があるのかなと思っています。自然の中にいると生かされていると感じるので、その「生かされているんだよ」という音を感じています。周りには農家や果樹園を営んでいる方が多くて、皆さん天候に左右されるので、「俺たちは生きてるんじゃなくて生かされているんだ」と常々言い聞かされてきました。都会の良さはもちろんありますが、こうして中に住んで自然に囲まれた中で感謝しながら曲を作っていくことが自分に合っていますね。人混みよりも木々や動物たちに囲まれているがちょうどいいです(笑)。
Q 幹mikiさんからOKWAVEユーザーにメッセージをお願いします。
A幹mikiこの映画を観てたくさんの方に東北に来ていただきたいです。とくに女川はついに仙台からの鉄道も全線開通しました。TVを通して被災地を見るだけではなく、実際に来て地元の人と触れ合って町の空気感というものを感じてほしいです。宮城県は空気もご飯も美味しいですし、海も綺麗です。ぜひ来ていただきたいです。
■Information
『サンマとカタール 女川つながる人々』
宮城県女川町。「あの日」、この町では住民の1割近くが犠牲となり、8割近くが住まいを失った。あれから3年半後の2014年9月、震災の年も休むことなく続けられた秋刀魚収獲祭では、大勢の客がサンマの煙に包また。女川町の復興に、最初に希望の光を灯したのは中東カタール。大型冷蔵冷凍庫「マスカー」の操業が復興の第一歩となった。町内は、町の中心部全部を更地にして嵩上げする工事が、2015年3月のJR女川駅開通「町びらき」に向けて休むことなく進んでいた。町づくりの中心になっているのは若者たち。水産業を営む阿部淳さんは、震災の翌年3月に祭りを企画。批判を浴びながらの開催だったが、その祭「復幸祭(ふっこうさい)」も大きく成長。JR女川駅の開通に合わせた2015年の復幸祭も、津波が来たら高台に逃げることを伝承する「復幸男」レースの、「逃げろー!」という合図で始まった。すべては津波の記憶を未来に伝えるため…。そして2015年12月、駅前商店街とプロムナードがオープン。新しい女川のカタチが見えてきた。カタールが灯した復興の灯は、大きな希望となって女川の未来へ続いていく。
監督:乾 弘明
ナレーション:中井 貴一
出演:阿部淳、石森洋悦、阿部由理、阿部美奈、須田善明、他女川町民約30名
配給:東京テアトル
制作:花組
製作:日本カタールパートナーズ/平成プロジェクト
公式サイト:http://onagawamovie.com/
©2016 Japan-Qatar Partners
CD「サンマとカタール 女川つながる人々」テーマソング
3曲入り 1,000円(税込)発売中
01. エンディングテーマ 光―女川リミックス 幹miki
02. メインテーマ 復幸(Instrumental)
03. 光―女川リミックス(カラオケ)
「光―女川リミックス」PV公開中!
YouTube:https://youtu.be/DMiKl2m2D3U
■Profile
幹miki
宮城県蔵王町在住。雄大な自然に囲まれた中で暮らしながら日々創作活動をしている。専門学校在学中に音楽プロデューサー須藤晃氏(尾崎豊、玉置浩二、浜田省吾等プロデュース)にその才能を認められ、同氏プロデュースによる村下孝蔵トリビュートアルバム「絵日記と紙芝居」(2006 年リリース)に唯一アマチュアで参加(ジュジュ名)。その後、地元宮城・仙台を拠点に本格的な音楽活動を始める。2015年6月には、台湾でもCDデビューを果たした。震災直後より石巻や南三陸、女川、七ヶ浜などの沿岸部において、音楽活動による支援活動を現在も行っている。
https://www.facebook.com/miki.info2012