Vol.657 映画監督 ダニエーレ・ルケッティ(映画『ローマ法王になる日まで』インタビュー)

OKWAVE Stars Vol.657はローマ法王フランシスコの知られざる半生を描いた映画『ローマ法王になる日まで』(2017年6月3日公開)ダニエーレ・ルケッティ監督へのインタビューをお送りします。

Q この映画の企画を聞いて、最初はどのように感じましたか。

Aダニエーレ・ルケッティ私は若い頃に政治運動をやっていました。16歳のときにサン・ピエトロに行って、当時のアルゼンチンの独裁政権に対するデモに参加しました。この映画で、その70年代のアルゼンチンを語ることができるのは自分の過去を辿り直すという意味でも興味深い題材でした。また、私はカトリックではありませんが、ローマ法王フランシスコはそんな私でも感銘を受けさせるような、今までのカトリックの法王とは違うアプローチをされるので、この映画の中で彼のことを描くことができるのは興味深かったです。ですので、この映画ではその2つの気持ちを融合させようと思いました。

Q アルゼンチンでの撮影前に綿密な取材をされたそうですね。

Aダニエーレ・ルケッティ現地で取材をしてあらゆる情報を聞き出しました。イエズス会の中には、若い頃のベルゴリオ(法王フランシスコ)のことを嫌っている人もいました。独裁政権と結託していたとか権力主義だったと言う人もいました。一方で6歳の彼を見て聖人になるに違いないと思ったという都合のいい話もありました。私としては信憑性のある人物像を描かなければならなかったので、そういった情報の間を取るようにしました。それと同時に物語としての人物像を作り上げなければなりませんでした。そのためには聞き出した情報を一回捨てて再構築する必要がありましたので、ある意味、真実を語るために虚構も入れた、ということになります。ただ、情報を集めていると、彼に対してネガティブに言う人たちは一様に暴力的な言葉を使っていることに気づきました。そして、やはり彼らの方が嘘をついていたりネガティブな思い込みが強かったです。「行方不明者家族の会」をはじめとする独裁政権の犠牲になった方たちの遺族の方にお話を聞くこともできました。映画の中で2人の神父が拷問を受けますが、あるジャーナリストはそれをベルゴリオのせいだと書いていました。ですが遺族の方がそれは真実ではないと証言しました。オルベイラ判事とのエピソードについては判事の娘さんから話を聞くことができました。そのような当時のベルゴリオと近しい人たちと会うこともできました。
現在のアルゼンチンは、独裁政権の全てが終わったわけではなく、いまでも独裁政権のことを共産主義化から守ってくれたと高く評価している人もいます。アルゼンチンという国を理解するのは難しい状況です。アルゼンチンは、一つの街の中にもう一つの街ともいえる貧民地区があります。そんな場所では麻薬や暴力がはびこっています。そこで懸命に働いている人もいますが、知識層の人でさえそんな貧民地区をなくしてしまいたいと考えています。そんな貧民地区に行って、そこに住む人たちをに寄り添おうとしているのは教会の方たちだけです。そんな現実が今もあります。

Q ベルゴリオを演じたロドリゴ・デ・ラ・セルナさんらにはどのように演出していきましたか。

Aダニエーレ・ルケッティ最高の役者を選ぶことができました。ロドリゴはアルゼンチンのスター俳優で、彼もまた私同様にカトリックではありません。彼は前衛的な映画にも出演してきましたが、今回は保守的な人物です。ベルゴリオは軍事政権下のアルゼンチンという不安定な時代を生きてきました。役者は言葉以上に、身体的な表現をしますが、今回はそういう意味でもロドリゴはうまく演じてくれたと思います。
また、年を取ってからはセルヒオ・エルナンデスがベルゴリオを演じていますが、2人とも、ベルゴリオ本人とは似ていないし、彼ら同士も似ていません(笑)。ただ、見た目を似せなければいけないわけではなく、その本人を思い出させることが大事です。観客はそうやって役者の中に似ている部分を探そうとします。イタリアで映画が公開された時に、ある雑誌がロドリゴとセルヒオ、若い頃のベルゴリオといまの法王の写真を並べて載せて「そっくりだ」と書いてくれました(笑)。

Q ベルゴリオはブエノスアイレス生まれのイタリア移民2世です。イタリア人俳優を使おうという考えはありませんでしたか。

Aダニエーレ・ルケッティベルゴリオはイタリア移民2世ですが若い頃はイタリア語はできなかったそうです。ブエノスアイレスのフローレスという地区の出身で、その地区独特の言葉を話していたそうです。ロドリゴもその地区の出身だったので、言葉の面で役に立ちました。フローレスは元々は貧しかったのが仕事をして一代で成功を収めた人たちが住んでいるいわば中流階級の地区です。
ベルゴリオがイタリア系であるかどうかは私にとってはそれほど重要ではないです。ベルゴリオが宗教の道に入る大きな影響を及ぼしたと言われているのが彼の祖母です。彼女はイタリアからアルゼンチンに渡ってからもスペイン語を覚えずにイタリア語を使っていたそうです。ただ、当時のアルゼンチンは移民を受け入れやすく、移民もまたすぐにアルゼンチンに同化していったそうです。ベルゴリオ本人はおそらく自分がイタリア系の自覚はあっても自分のことをアルゼンチン人だと感じていたと思います。

Q 「結び目を解く聖母マリア」の絵のシーンが感動的です。

Aダニエーレ・ルケッティベルゴリオのあの絵との出会いはとても重要だと思います。ベルゴリオは心打たれて、ブエノスアイレスにその思想を持ち帰ります。そしてアルゼンチンでもその思想が受け入れられました。それまでのベルゴリオの人生は悩みという「結び目」をうまく解決できたものもあればできなかったものもありました。ドイツでこの絵と出会って、自身の結び目が解けて涙を流します。そして、それを信じることができたのが彼にとって大きな意味を持っていたのだと思います。

Q ローマ法王には直接取材できずにこの映画を撮ったとのことですが、ローマ法王に完成した作品を観てもらうことはできましたか。

Aダニエーレ・ルケッティ撮影前も撮影中も、周辺取材した情報が正しいのかどうか、あるいは法王の当時の気持ちを聞きたいと思っていました。プロデューサーが手紙を出したり手を尽くしましたが残念ながらナシのつぶてでした。ですが、映画を撮り終えた後、法王の側近の方から「映画を観たい」という連絡をいただきました。もう変更はできないのですが、側近の方が来て完成した映画を観ました。観終わってから「これは真実に近いです」と言ってくれました。「バチカンで上映したい」とも言ってくれて、7,000人の貧しい方と聖職者の方への上映会を実施しました。その翌日に映画のDVDが欲しいと言われて渡しました。それを法王が観てくれたかどうかは分かりません。
バチカンでは宗教についてのもっとスキャンダラスな映画があっても、いつも沈黙を貫いてきたので、いまさら火あぶりの刑にもできませんし、問題はなかったと思います(笑)。

Q OKWAVEユーザーにメッセージをお願いします。

Aダニエーレ・ルケッティ人間は3回生き直すことができると言います。ベルゴリオは独裁政権下だったり、経済危機だったアルゼンチンを生きました。そしてローマ法王になりました。ある意味、現代のおとぎ話のようなものです。人生は何度でもやり直せるし、いつでもやり直せる、ということを示していると思います。

Qダニエーレ・ルケッティ監督からOKWAVEユーザーに質問!

ダニエーレ・ルケッティイタリア人がアルゼンチンのことを描いて、日本人はそれをどう受け止めるでしょうか。しかもカトリックではない監督が世界一のカトリックのことを描き、日本はカトリックの国ではないですよね。コミュニケーションがうまくいかない要素がたくさんありますが、これがうまくいけばいいなと思います。

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■Information

『ローマ法王になる日まで』

2017年6月3日(土)より、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテ、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次ロードショー

約600年ぶりに生前退位した先代ベネディクト16世の後を継ぎ、2013年3月13日に初の南半球出身、初のイエズス会出身のローマ法王に就任したフランシスコ。アルゼンチン・ブエノスアイレス出身のイタリア移民2世で、サッカーとタンゴをこよなく愛する庶民派。“ロックスター”法王と呼ばれ、人々を熱狂させる、現ローマ法王の知られざる激動の半生とは。

監督:ダニエーレ・ルケッティ
出演:ロドリゴ・デ・ラ・セルナ/セルヒオ・エルナンデス/ムリエル・サンタ・アナ/メルセデス・モラーン
配給:シンカ/ミモザフィルムズ

roma-houou.jp

©TAODUE SRL 2015


■Profile

ダニエーレ・ルケッティ

1960年7月26日、イタリア・ローマ生まれ。
父は彫刻家。学生時代は文学と美術史を学ぶ。友人のナンニ・モレッティが監督した『僕のビアンカ』(83)にエキストラ出演後、同監督のベルリン国際映画祭審査員グランプリ受賞作『ジュリオの当惑』(85)では助監督をつとめる。モレッティ作品には『赤いシュート』(89)にも再び俳優として登場している。
自動車メーカーのスズキやフィアット、チーズブランドのガルバーニなどのCM制作を経て、オムニバス映画「Juke Box」(85)に参加。3年後、まだ映画デビュー間もないマルゲリータ・ブイを起用した長編デビュー作『イタリア不思議旅』(88)でイタリアのアカデミー賞にあたるダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞の最優秀新人監督賞を受賞、第41回カンヌ映画祭<ある視点>部門ノミネート。ナンニ・モレッティを主役の一人に起用した、長編3作目『Il portaborse』(91)では、ドナテッロ賞の最優秀脚本賞を受賞、第44回カンヌ映画祭コンペティション部門にノミネート。マルゲリータ・ブイと続けてタッグを組み興行的にも成功をおさめた『Arriva la bufera』(93)、『La scuola』(95)、ステファノ・アコルシを抜擢した『I piccolo maestri』(98)と長編作品を発表した後、一時期は現代美術を題材にしたドキュメンタリーなどを手がける。再び長編作品を撮り始めると『マイ・ブラザー』(07・第20回東京国際映画祭ワールド・シネマ部門にて上映)で第60回カンヌ映画祭<ある視点>部門ノミネート。『我らの生活』(10)で第63回カンヌ国際映画祭コンペティション部門ノミネート、主演のエリオ・ジェルマーノに男優賞をもたらした。同作はドナテッロ賞で8部門にノミネートされ、監督賞など3部門で受賞を果たし、ルケッティの代表作となる。
他に東京国際映画祭で上映された監督の自伝的作品『ハッピー・イヤーズ』(13)など、コンスタントに作品を発表しているイタリアの名匠である。