Vol.674 映画監督 越川道夫(映画『海辺の生と死』)

越川道夫(映画『海辺の生と死』)

OKWAVE Stars Vol.674は映画『海辺の生と死』(2017年7月29日公開)の越川道夫監督へのインタビューをお送りします。

Q 何年も前から本作の映画化を思い描いていたそうですね。

A映画『海辺の生と死』越川道夫僕の師匠である澤井信一郎さんがこの原作を映画化したがっていた、という記事を最近SNSで見かけたんです。澤井さんがそう言っていたかは忘れてしまいましたが、澤井さんとは17歳の時に出会っていて、多分それがあってこの原作を読んだのではないかと思いました。本棚に今も置いて、若い頃から大事に読んできた小説なので、撮れば良い映画になるんじゃないかなとは思っていましたが、そういう作品は実際には作らない方がいい、という考え方もありますよね。だから、作った方がいいのだろうなと思いながらも自分ではやらないのではないかと思っていました。

Q では、実際に映画化することにして、どんなところを大切にしましたか。

A越川道夫もし映画化するのだったら原作の「その夜」というエピソードだと思っていました。島尾敏雄さんの「死の棘」という作品があって、その後に島尾ミホさんたちがどうなったかが分かっているわけですが、二人が出会った時の高揚感は、映画にすればロマンチックなものになるという考えを20代の頃は持っていました。
いま実際に撮る段になると、その後彼女がどうしたのかが気になりました。もしかしたら集団自決しているかもしれなかったのが、普通の朝が訪れたと原作にはあります。そのことが僕にとっては重要でした。この本を読んだ20代の頃から今日までに、震災などいろんなことがあって、混乱や大変な時期があった中で、自分たちが日常を狂わずにいるためにはどうあったらよいのか、ということが自分にとって大きくなりました。おそらく、震災を経験していなければ、そういう気持ちにはならなかったと思います。
今回、奄美大島と加計呂麻島で撮影しましたが、島を裏切りたくない、という思いが強かったです。大平トエの映画を撮る、ということはその島の映画を撮るということです。その土地で育った人間のことを描くので、その土地の在り方を裏切りたくない、という思いがありました。

Q 主演には奄美大島にルーツがあるという満島ひかりさんを起用されましたが、その運命的なキャステイングはどのように決めたのでしょう。

A越川道夫満島さんとは僕がプロデューサーだった『夏の終り』という映画でご一緒して、その時に本気と冗談の半々で「また何かやりましょう」とは言っていました。この映画のヒロインは誰がいいのか考えると彼女以外には考えつきませんでした。引き受けていただけたので、この映画にとっては幸せだったと思います。

Q キャスト陣に期待したことはいかがでしょうか。

A越川道夫これは満島さんに限らず、僕の青写真に役者を閉じ込めるのではなく、役者の芝居が持っている可能性をどこまでも広げていく、ということが僕にとってはいつも大事です。僕は「映像を撮っているのではなく芝居を撮っているのだ」とよく言います。ただ、その相手が満島さんですから実際に演じてもらうとどこまでも広がるので楽しかったです。僕は俳優の可能性を広げるために声をかける立場だと考えています。だから現場では、役者の芝居をせき止めているものがあればそれを解き放つためのことをしていて、僕が何かをしたということではないのです。

Q 奄美の島唄を満島さん演じるトエらが歌うシーンが印象的です。

A越川道夫僕自身、映画の中で誰かが歌っているのが好きなので、僕が作っている映画には歌うシーンがよく出てきます。島唄は奄美の島々だけでも違いますし、もちろん、沖縄や九州とも違います。台本の段階で映画の中で歌われた島唄を全て指定していました。中には僕が思うよりも地元の人にはとても大切な島唄をそうとは知らずに指定していたものもあります。

Q ケコ役の泰瀬生良さんをはじめ子どもたちも印象的でしたが、現代ではない設定での子どもたちの演出はどのようにされたのでしょう。

A映画『海辺の生と死』越川道夫彼らは訓練を受けたいわゆる子役ではありませんが、怖いものは怖いし楽しいものは楽しいと、多分本能的に分かっているのだと思います。だから、例えば空襲の場面であれば怖いという反応もビビッドです。そもそも、言ったとおりに動かないので、無理やり動かすよりも、本能的に分かっているものを引き出していこうと思いました。『楽隊のうさぎ』という映画を作った時も、出演していた中学生たちは僕たちの貧しい想像力で考えたことを言わなくても彼らの中にちゃんと本質がありました。それを引き出せばいいんだと。今回も子どもたちを信頼していました。もちろんいろいろ声はかけましたが、訓練しなければ芝居ができない、とは思っていないです。職業俳優でもそうでなくても僕のやることはあまり変わりはありません。

Q 奄美という場所の影響は大きかったですか。

A映画『海辺の生と死』越川道夫大きかったです。観光で行くのとそこで仕事をするということではまた違います。奄美に限らずどこでも本当はそうだと思いますが、とくに奄美での撮影は、その土地が持っている時間や歴史、どういう鳥や虫がいて、どんな風に木が生えているのかといった在り方も、どの場所も本当は特別なように、それを意識せざるをえない場所でした。観光をした時には何となく過ぎていくようなところでも、そこで仕事をしてカメラを向けると、いろんなことが押し寄せてきます。
満島さんは「奄美の海は群青色です。他の海とは違います」と言っていましたが、二人が逢瀬を重ねる浜辺も他の海岸も全部違うのが面白かったです。海は全部違った個性を持っていて、その海とどう会話して撮るのかが僕にとっては重要でした。僕自身、浜松で育ったので、海には相当な思い入れがあります。それが3.11のあの津波を見てしまったら、海に対してどう向き合えばいいか分からなくなってしまったんです。今では「もう海を撮ってもいいのかな」と思えるようにはなりましたが、いざカメラを向けるとどう撮ればいいかずっと試行錯誤していました。でも、気づけば海にまつわる映画ばかり撮っているような気がします。海を意識して生きてきたから、海がどの方向にあるかだいたい分かるし、分からないと暮らせないんです。僕は一生、海とは切り離して生きられないです。だから、夜に満島さんを喪服姿で泳がせるとか、助監督から「いつも誰かを水に漬けていますね」と言われますが、自分でも酷いことしているなと思います(笑)。

Q 本作を作り終えて、新たな気づきや発見はありましたか。

A映画『海辺の生と死』越川道夫僕は言葉と仲が悪いんです。よく分からないからたくさん喋ってしまうのですが、言葉よりも先に身体があると思っています。赤ちゃんがそうなのだから当たり前の話ではありますが、だからこそ、言葉から先に演技を作るのは好きではないです。言葉を話す時に身体性がないといけないなと思います。脚本があって、そこには台詞が並んでいるので、台詞をどう言うかになりがちです。
それと奄美での大きな発見がありました。奄美の島唄について現地で聞いたら、例えば一番から二十番までの歌詞があったとしても、一番の次は二番ではなく20個一番がある、という考え方になるそうです。僕らはそんな考え方をしない。奄美の人たちはそれがあるから何事も一番の次も一番という考え方になるそうです。僕らが映画を撮る時、シーン1からシーン100まであるとすると、シーン1に始まったものがシーン100に向かって積み上がっていく弁証法的な思考になりますが、奄美の人たちはそういう考え方をしないのが僕には衝撃的でした。とても面白い考え方だと思ったので、今回撮影する時にいつものやり方が揺らぎました。満島さんとそういう撮り方をしたいという話をしました。全部のシーンをシーン1だと思って撮るということです。この映画の後に撮った映画もそういう考え方で撮っていました。まだ答えは出ていませんが、そんな風に映画を撮っていったら映画はどうなるのだろうと思います。

Q 越川道夫監督からOKWAVEユーザーにメッセージ!

A越川道夫この映画は原作があって奄美の島で撮っているので、映画を観ていただいたら何かしらフィードバックしてほしいなと思います。原作本や今回の映画化で復刊した関連本もありますし、島唄を聴いていただくのもいい。現地を訪れてみるのもいいです。映画を観るということは、映画だけではなくその周辺にあるものを一緒にしりとりのように広げていく楽しみがあるものだと思います。映画の中ではいろんな虫が鳴いていますが、内地の人は聴いたこともないような奄美だけの虫もいますので虫好きな人はそんな楽しみ方もできると思います。

Q越川道夫監督からOKWAVEユーザーに質問!

越川道夫奄美大島のお気に入りの場所や思い出を聞かせてください。

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■Information

『海辺の生と死』

映画『海辺の生と死』2017年7月29日(土)テアトル新宿ほか全国順次公開

昭和19年(1944年)12月、奄美カゲロウ島(加計呂麻島がモデル)。国民学校教員として働く大平トエは、新しく駐屯してきた海軍特攻艇の隊長、朔中尉と出会う。朔が兵隊の教育用に本を借りたいと言ってきたことから知り合い、互いに好意を抱き合う。島の子供たちに慕われ、軍歌よりも島唄を歌いたがる軍人らしくない朔にトエは惹かれていく。やがて、トエは朔と逢瀬を重ねるようになる。しかし、時の経過と共に敵襲は激しくなり、沖縄は陥落、広島に新型爆弾が落とされる。そして、ついに朔が出撃する日がやってきた。母の遺品の喪服を着て、短刀を胸に抱いたトエは家を飛び出し、いつもの浜辺へと無我夢中で駆けるのだった…。

脚本・監督:越川道夫
原作:島尾ミホ「海辺の生と死」(中公文庫刊)島尾敏雄「島の果て」ほかより
出演:満島ひかり 永山絢斗
井之脇海 泰瀬生良 蘇喜世司 川瀬陽太 津嘉山正種
配給:フルモテルモ、スターサンズ

http://www.umibenoseitoshi.net/

(C)島尾ミホ / 島尾敏雄 / 株式会社ユマニテ


■Profile

越川道夫

越川道夫(映画『海辺の生と死』)1965年静岡県生まれ。
立教大学卒業後、助監督、劇場勤務、演劇活動を経て、映画配給会社シネマ・キャッツでヨーロッパ映画の宣伝・配給に従事。97年に映画製作・配給会社スローラーナーを設立。ラース・フォン・トリアー監督『イディオッツ』(98)、篠原哲雄監督『洗濯機は俺にまかせろ』(99)などの配給・宣伝に携わる。青山真治監督『路地へ 中上健次が残したフィルム』をプロデュース、製作・配給を担当。2010年にプロデューサーを担当した熊切和嘉監督『海炭市叙景』で大きな評価を獲得。プロデュースしたヤン・ヨンヒ監督『かぞくのくに』(12)は数多くの映画賞を受賞した。16年に『アレノ』にて脚本と初監督、第30回高崎映画祭にて最優秀主演女優賞(山田真歩)とホリゾント賞(監督)を受賞した。