Vol.678 ミュージシャン 玉木慎吾(映画『海の彼方』)

玉木慎吾(映画『海の彼方』)

OKWAVE Stars Vol.678は沖縄の台湾移民の家族のドキュメンタリー映画『海の彼方』(2017年8月12日公開)に当事者として出演しているミュージシャンの玉木慎吾さんへのインタビューをお送りします。

Q 玉木慎吾さんご自身はミュージシャンとして東京を拠点に活躍されていますが、ミュージシャンとしての経歴についてお聞かせください。

A映画『海の彼方』玉木慎吾学生の頃から24歳くらいまで地元の石垣島でバンド活動をしていました。ある時に、SEX MACHINEGUNSのファンクラブイベントが石垣島であって、地元のバンドの曲を一緒に演奏する企画があって声がかかって、一緒に演奏したのがきっかけです。その時にお誘いを受けて東京に出てきました。

Q では、今回のこの『海の彼方』ですが、どういった経緯で映画になったのでしょうか。

A玉木慎吾台湾人の黄インイク監督が沖縄に移民してきた台湾人に興味を持っていました。戦前に石垣島に移住してきた台湾人や関係者150人くらいに1年半ほどかけて取材していった中で、僕たち、玉木家が移民してきた中でも変わっていて面白いと思ったそうです。移民の孫には僕のようなミュージシャンもいるんだと。それでみんなで取材に協力しているうちに映画になりました。最初は父から連絡が来て、監督のことを聞きました。最初は面倒くさそうと思いましたが(笑)、僕自身も台湾といい関係ができています。

Q 元々ルーツを意識することはありましたか。

A映画『海の彼方』玉木慎吾小さな頃から台湾と日本のハーフということは自分でも分かってはいました。ただ、分かっていただけで、実感はなかったです。いま考えると僕の家は沖縄の友達の家とは全く違うのですが、その頃はとくに意識していなかったです。この映画を通してやっと実感できました。点と点が結ばれたような感覚です。

Q これまでに台湾に行ったことはあったのでしょうか。

A玉木慎吾乗り換えの途中で寄ったことはありましたけれど、この映画に出てくるおばあちゃんの里帰りに同行したのが実質、初めてです。お香や食べ物のにおいが懐かしいというか、家に居た時のおばあちゃんのにおいのような感覚で懐かしいなと感じました。

Q 里帰りのおばあちゃん、玉木玉代さんは台湾に着いてからの様子はいかがでしたか。

A玉木慎吾僕が子どもの頃から一緒に過ごしていた時期は、どちらかと言うと、おばあちゃんの印象は「口うるさい気の強いおばあちゃん」でした。東京に出てきて何年も帰っていなかったので、この映画の最後の里帰りで一緒に台湾に行った時は、出発前のおばあちゃんは元気がなくて何だか弱くなってしまったなと感じました。でも、台湾に着いて、台湾語を話すおばあちゃんは生き生きしていて、何だかおばあちゃんってこんなにかわいかったかなと思いました。おばあちゃんも若い頃の気持ちに戻ったのかなと思って、こちらも嬉しく気恥ずかしい気持ちにもなりました。

Q おばあちゃんの米寿のお祝いに親戚100人が集まりましたが、そんな機会はこれまでにありましたか。

A玉木慎吾なかなかなかったですね。この88歳の誕生日の機会に「何があっても集まれ」と父から連絡が来ました。僕がいない間に家族は何回か集まっていたみたいですが、久々に僕も帰る機会を作ることができました。100人が集まる機会なんて無いので、知らない親戚もいっぱいいました。

Q カメラが回っている状況はご家族、親戚の皆さんはどう受け入れていたのでしょう。

A映画『海の彼方』玉木慎吾僕は仕事柄、カメラが回っていることに慣れていますが、親戚のみんなは意識するのかなと思っていたら、みんな自然な様子でした。ここまでずっと密着取材をされてきたから、あまり意識することもなかったのかなと思います。

Q ナレーションも慎吾さんが担当されましたが、何か感じるところはありましたか。

A玉木慎吾ある程度完成したものに対して、何回かに分けて録りました。映像を見ながらナレーションを読むので、最初は読むのに必死で映像を観ている余裕はありませんでしたが、慣れてきてからは、おばあちゃんや父の若い頃の姿を見て気持ちが入っていきました。今の姿を知っているから、時が進んでいることに対しての切なさに悲しい気もちになってしまいました。でも、そんなちょっとしょんぼり読んでいるのを監督が「OKです」と言ってくれました。監督は日本語ができる方なので、日本語のナレーションをご自分で全部ディレクションしていました。

Q 台湾人の移住の歴史は知られていなかったことだと思いますが、改めてどう感じましたか。

A玉木慎吾僕もなぜおばあちゃんたちが台湾から石垣島に来たのか理由は知りませんでした。これまで誰も教えてくれませんでしたので、今回、理由を知って衝撃でした。おじいちゃんのお墓はパイナップル工場の跡地がある石垣島の名蔵という地域にあって小さな頃には行った覚えがあります。僕らはそこに住んでいたわけではなかったので名蔵に行くのは観光気分でした。
子どもの頃におばあちゃんのお母さんのことを聞いたことがありますが、答えははぐらかされてしまいました。僕らには台湾のことを話したり台湾語を使ったり教えたりすることもなかったので、今になってようやく少しつながった気がします。

Q 『海の彼方』をどう受け止めてほしいですか。

A映画『海の彼方』玉木慎吾台湾移民が何故やって来たのか、その時代背景や、僕らのような家族が描かれています。歴史だけではなく、家族のことが語られているので、僕も当事者ですが、おばあちゃんに対する気持ちや、自分のルーツを掘り下げるきっかけになれば嬉しいです。僕自身、音楽の活動でも台湾とのつながりができて、今後も台湾でライブをすることも決まっているので、これも、なるべくしてなっているのかなという気がします。

Q玉木慎吾さんからOKWAVEユーザーに質問!

玉木慎吾皆さんは自分のルーツをどこまで掘り下げたことがありますか。
沖縄のユタの方が言うには、僕の先祖は中国では魂の位がとても高いとのことですが、全然実感がなかったです(笑)。そこまで辿れたらいいなと思いました(笑)。

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■Information

『海の彼方』

映画『海の彼方』2017年8月12日(土)より ポレポレ東中野ほか全国順次公開!

1930年代 石垣島へ渡った台湾移民
台湾人とも日本人とも認められず時代に翻弄されたある一家の3世代にわたる人生と記憶の軌跡

沖縄石垣島の台湾移民の歴史は、1930年代、日本統治時代の台湾からの農民の集団移民に始まる。その中に、玉木家の人々もいた。
台湾から最も近い「本土」だった八重山諸島(石垣島を含む10の島々)で、88歳になる玉木玉代おばあは、100人を超す大家族に囲まれていた。そして米寿を迎えたおばあは娘や孫たちに連れられて長年の願いだった台湾への里帰りを果たす。しかし、70年の歳月がもたらした時代の変化は予想以上に大きく…。
ある台湾移民一家の3世代にわたる人生に光を当てることで、複雑な経緯を歩んできた東アジアの歴史を越え、記憶の軌跡と共に人生最後の旅を辿る。歴史に翻弄されながらも生き抜いてきた玉木家の「家族愛」にも迫り、観る者に忘れていたものを思い出させてくれる。

主な出演者:玉木玉代、玉木秋雄、登野城美奈子、玉木美枝子、吉原美佐子、玉木茂治、志良堂久美子、玉木文治、玉木慎吾、登野城忠男
監督:黄インイク
提供:木林映画、シグロ|配給・宣伝:太秦

https://uminokanata.com/

Ⓒ 2016 Moolin Films, Ltd.


■Profile

玉木慎吾

玉木慎吾(映画『海の彼方』)8月29日生まれ、A型。
BassistとしてSEX MACHINEGUNSではSHINGO☆、ザ☆メンテナンスではしんごすたー、ソロ活動は玉木慎吾名義。沖縄県石垣島出身の日台ハーフ。

https://twitter.com/shingo_tamaki