OKWAVE Stars Vol.774は映画『悲しみに、こんにちは』(2018年7月21日公開)カルラ・シモン監督へのインタビューをお送りします。
Q 長編の1作目に自伝的な本作を撮ろうと思ったきっかけをお聞かせください。
Aカルラ・シモンこの映画では自分の物語を話していますが、6歳の子どもが死というものに直面した時にどう感じるのか、どう感情をコントロールするのかを描きたいと思っていました。
この映画はロンドンに留学中に撮る機会が得られました。ロンドンは自分が生まれ育ったスペインの田舎と違って外国の都会でしたので、私は一体誰なのかと自分を見つめ直す機会だったんです。そもそも大都会は故郷や家族を懐かしく思うような環境ですよね。
この映画を撮る前には、二人の子どもがおばあちゃんの死に直面する、という短編映画を撮っていました。その際に、子どもと一緒に映画を撮るという経験もしたので、この長編で自分の物語を描きたいと思いました。
Q 子どもたちが演技を通り越した実に自然体な演技をされていますが、この子たちに決めた理由をお聞かせください。
Aカルラ・シモンキャスティングにはとても時間をかけました。5〜6ヶ月くらい、とても多くの子どもたちを見てきました。とくに主人公のフリダ役のライア・アルティガスと出会ったのは最後から2番目でした。決め手としてライアはとてもフリダに似ていました。子どもたちは演技はできますが、映画の中に入ってこの物語が本当なんだと思う気持ちが必要です。それがライアにはありました。また、ライアの眼差しを見て、この子を撮りたいという気持ちになりました。映画をご覧いただければ分かりますが、ライアには子どもらしい甘い眼差しもあれば、暗さのようなものもあったからです。
Q 子どもたちへの演出についてお聞かせください。
Aカルラ・シモンすごく長い時間をかけて大人役の俳優たちと一緒に過ごしてもらいました。そこでは即興で物語の舞台である1993年の夏以前のことを演じてもらいました。そこで思い出を大人たちと一緒に育みました。フリダのお母さんが入院している時の感情をライアに演じてもらったり、フリダの叔母のロラと仲が良いという関係性なので、事前にその関係性を作ることができるようにしました。フリダの従妹アナ役のパウラ・ロブレスにも同様に両親役の俳優と長く一緒に過ごしてもらいました。そうやって関係性を作っていくことで、フリダがお母さんが亡くなったことに気づく、という物語の流れを作りました。
ロケ地でも2週間くらい過ごしてもらいました。その時には、シーンの中で言ってほしいセリフの練習だけしました。子どもたちは脚本を見ずに自由に演じているのですが、言ってほしいセリフだけは繰り返し練習して彼女たちは臨みました。
芝居の練習ではなく関係づくりに時間をかけましたので、真実の関係のようなものが作り出せたと思います。
Q 大人のキャストたちはこのアプローチについてどんな反応でしたか。
Aカルラ・シモン大人たちにも脚本は読んでもらっても、記憶せずに子どもたちに自由に反応してほしいと言いました。彼らは本当に私の仲間といえる存在でした。というのも、子どもたちへの演出は彼らを通してしなければならかなったからです。子どもたちを演出する上で、大人たちは本当に子どもたちと遊ばなければならないこともありました。遊びのような中に芝居があったんです。
Q ロケ地は監督の出身地とのことですね。
Aカルラ・シモンこの映画は自伝ではありますが実はフィクションも多いです。3割くらいが実際にあったことで、それ以外はフィクションなんです。でも、リアルな場所もあって、映画の中で叔父と叔母が働いているプールは、実際に私の両親が働いていた場所です。街の広場は私が住んでいた村の広場ではありませんが同じような場所を選びました。私の通っていた学校も映っていますし、叔父夫婦の家は私が住んでいた家ではありませんが友人一家が住んでいた家を使っています。それらはこの映画を撮る上で大切なことでした。
Q フリダの目線で描いたことについてのねらいをお聞かせください。
Aカルラ・シモン私自身の思い出についての映画なのですが、母の死に対してどう反応したのかは覚えてはいないんです。ですので、映画を作る上では幼少期に親を亡くした子どもについて研究されている本を読んで勉強しました。フリダは母が亡くなったことを分かっています。その感情をどう表現したら良いのか分からないので、それを中心に描くことにしました。
Q 本作を通じて発見したことについてお聞かせください。
Aカルラ・シモン撮影中に学んだこととしては、常に監督が頭の中で考えていることが具現化するわけではないということです。私が考えていることとは違うことがカメラの前で起きていて、そのことの価値をきちんと評価する必要がありました。私の頭の中にあった幼少期の思い出と、幼い女優たちの行為には違いがあっても、それに順応する必要がありました。
Q この映画を撮る上で一番大きな困難はどんなことだったでしょう。
Aカルラ・シモン一番難しかったのは先ほどの話と似ていますが私の物語と実際の映画の正しい距離を取らなければならかったことです。それとやはり子どもたちにどう演じてもらうかということ、それはとくに時間との戦いでしたね。子どもたちは1日6時間、長くても8時間しか撮ることはできません。撮影期間は全部で6週間でした。ですので、間違ったり、何かを試す時間はありませんでした。すべての時間は子どもたちが中心でしたね。
Q この映画における1993年のスペインと現在のスペインの違いについてお聞かせください。
Aカルラ・シモン1993年は私が幼少期の頃ですが、当時のスペインはフランコ政権が終わって20年も経っていないので、スペインの民主化が進んでいく幸せな時代だったと言えます。一方で、ヘロインクライシスと呼ばれていますが、ヘロインなどのドラッグが入ってきて、多くの若者がドラッグの罠にかかって、さらにそこからエイズが広がって多くの若い命が失われました。ヨーロッパの中でもスペインはエイズによる死がとても多かったですし、私の人生にも大きな影を落としました。エイズの対処薬ができたのは1996年ですので、当時はまだ対処法がなく、人々の記憶に強い印象を残しました。バルセロナ五輪があって発展していく一方でそのようなことがあった時代です。それは映画の中心となるテーマではありませんが時代背景はとても重要でした。
Q カルラ・シモン監督からOKWAVEユーザーにメッセージ!
Aカルラ・シモン普遍的なテーマを扱った作品ですので皆さんに観ていただきたいです。子どもの心理は複雑であること、そして大人が思っているよりも子どもは賢いということです。子どもたちは感情を表現したりコントロールするのは上手ではないけれど、大人と同じように扱うべきだと思います。子どもたちの成長にとって家族愛が必要です。私自身の場合は、家族が再構成される必要がありました。フリダは新しい家族の中に入る必要があり、両親は新しい娘を受け入れる必要があり、フリダとアナは新しく姉妹になる必要がありました。そういったことは当たり前なことではありません。スペインでは観客が見終わった後には「家族に会いたくなった」という声をたくさん聞きました。ぜひそういう感情を皆さんが共有していただけたらと思いますし、家族に対する思いを見つめ直していただけたらと思います。
■Information
『悲しみに、こんにちは』
2018年7月21日(土)渋谷ユーロスペースほか全国順次公開
フリダは部屋の片隅で、荷物がダンボールに詰められるのを静かに見つめていた。その姿は、まるで母親ネウスが最後に残していった置物のようだ。両親を“ある病気”で亡くし一人になった彼女は、バルセロナの祖父母の元を離れ、カタルーニャの田舎に住む若い叔父家族と一緒に暮らすことになる。母親の入院中、祖母たちに甘やかされて育てられていた都会っ子のフリダ。一方、田舎で自給自足の生活を送っている叔父と叔母、そして幼いいとこのアナ。彼らは、家族の一員としてフリダを温かく迎え入れるが、本当の家族のように馴染むのには互いに時間がかかり…。
脚本・監督:カルラ・シモン
出演:ライア・アルティガス、パウラ・ロブレス、ブルーナ・クッシ、ダビド・ヴェルダグエル、フェルミ・レイザック
配給・宣伝:太秦、ノーム
(c)2015,SUMMER 1993
■Profile
カルラ・シモン
1986年、バルセロナ生まれ。
バルセロナ自治大学オーディオビジュアル・コミュニケーション科を卒業、カリフォルニア大学で脚本と監督演出を学び、2011年、ロンドン・フィルム学校に入る。在学中に制作した短編のドキュメンタリー『BORN POSITIVE』と劇映画『LIPSTICK』は、多くの国際映画祭で上映された。本作『悲しみに、こんにちは』は、彼女の長編デビュー作で、ベルリン国際映画祭でプレミア上映され、新人監督賞、ジェネレーションPlus部門グランプリを受賞した。2013年、シモン監督は、子供や十代の若者たちに映画を教えるため、“Young For Film!”をつくる。
現在はバルセロナに戻り、次回作の準備をしながら、小・中学生を対象とした映画制作ワークショップ“Cinema en Curs”で映画作りを教えている。
監督写真:スペイン大使館にて撮影