Vol.779 映画祭ディレクター 荒木啓子(ぴあフィルムフェスティバル総合ディレクター)

荒木啓子 ぴあフィルムフェスティバル(PFF)総合ディレクター

OKWAVE Stars Vol.779は今年40回目の記念開催を迎えるぴあフィルムフェスティバル(PFF)総合ディレクターの荒木啓子さんへのインタビューをお送りします。

Q 40回を数えるぴあフィルムフェスティバル(PFF)に20年以上にわたって関わっているとのことですが、きっかけは何だったのでしょう。

A荒木啓子ある女性プロデューサーから女性だけの映画製作チームを作りたいと相談されて、彼女のアシスタント・プロデューサーを務めていた時に、スタッフでいらした方から「君はPFFに向いているから紹介するよ」と言われて。PFFはその以前、東京国際映画祭ができる前は国際的な映画を紹介する唯一の映画祭で、一観客として観に行っていましたが当時は映画祭の仕事を知らず、勿論PFFディレクターが何かも知りませんでした。当時のPFFは海外作品の紹介をメインにしたチームがあり、そこでいくつかの映画祭を企画運営しました。

Q PFFの魅力や続けている理由についてお聞かせください。

A荒木啓子PFFでは、映画を作っている人は、どんなに有名な人でもそうでもない人も同じく尊い、という考え方を貫いています。それはPFFが始まった時から変わっていないところです。自主映画だろうが有名作品であろうが、映画ということでは完全に平等です。その精神を貫きながら新しいことをやっていくことは工夫のしがいがありますね。
今は一般社団法人としてPFFは別団体になっていますが、母体の「ぴあ」という会社が、もともとは大学の映画研究会の人たちが作った会社なんですね。その映研出身の人たちが毎日映画が観られるための情報雑誌「ぴあ」を創刊し雑誌社を始め、それが成功し、得たお金をどうするのかと考えた時に、海外には映画祭というものがあるのでそれをやろうということになったわけです。それまで彼らが映研で作ってきた8mmフィルムの作品は映画館にかかることはなかったので、そういう作品を映画館にかけたい、自分たちの心ときめく自主映画監督を紹介していきたい、ということが出発点になっています。「8mm自主映画も35mmの商業映画も並列に扱う映画祭」の始まりですね。ただ、PFFが始まった1977年と2018年では映画のあり方は変わっています。そんな時代と社会の移り変わりの中で、同じ精神性でどう今の時代に作り上げていくのかが課題です。

Q 映画の表現も発表場所も時代と共に変わってきましたが、「映画」は何をもって「映画」だと思いますか。

A荒木啓子表現としては作っている人が映画だと思えば映画ですし、観ている人が映画だと思えば映画です。
ひとつ言えるのは、自分ができるだけ自由でいられるように、できるだけのびのびと人生を過ごすためにこういう表現物があるのだと思います。それは映画に限らず、演劇や美術、スポーツなど、そういったものはできるだけ何かを決めつけないほうがいいと思います。自主映画を作る人は、その人が心の中からどうしても作りたいというものを作っている、という前提に立っています。大御所と呼ばれる監督たちも映画会社から何か企画はありませんかと聞かれて自分のやりたい企画を出しているので、映画の世界は意外にやりたいことをやる人しかいないのかなと思います。

発表場所についてですが、「映画館で上映して不特定多数の人と一緒に観る」というのが映画の概念だと思いますが、それはどんどん崩れています。それでもいまも映画という言葉がなぜ生き残っているかといえば、段々と商売にならなくなって、趣味にどんどん近付いているからだと思います。「俳優はCMで稼いで、映画はどんなに安くても出る」と耳にすることがありますが、映画には何か純粋なものが残されていると思われているからでしょう。映画の黄金期と言われる1950年代には、特別な音楽、照明、セットで美男美女が演じるという作りものの世界を、反応はそれぞれ違ってもみんなで観る、という前提があったと思います。それが今はいろいろな人に映画とは何かと問いかけても答えはひとりひとり違うと思います。では、PFFにとっての映画とは何かといえば、その100人いれば100通りの映画があって、それに対応するのが現代の映画祭なんだと思っています。

Q 自主映画の監督にはどんなことを伝えたいでしょうか。

A荒木啓子「観る」という行為ですが「この解釈で合っているのかな」という不安感が日本を覆っている感触があります。日本では日本の反応があり、他の場所ではまた違う反応がある。監督にはそんな体験をしてほしくて映画を海外で上映するチャンスを拡げようとしているのですが、いまや、経済的にも映画は世界どこでもつくるという感覚が必要になっていると思います。それはまるで1930〜1950年代の映画産業のように。海外から何か話が来た時に、その海外のプロデューサーと対等に話ができる人は多くはいません。もちろん、それは映画の世界に限りませんが、自主映画をやってきた人たちは困難を乗り越えてきただろうから、私は可能性を感じています。
そもそも、今の日本では若い人の才能が充分に活かされないという恐怖心があります。PFFのプログラムを考える時、映画にできることは何か、といったことを考えるのが私の仕事かなと考えています。現在の日本は東京に極端に一極化しているので東京にいると感じづらいですが、地方とのギャップが拡大しています。映画ですと、地元資本の映画館の閉館は加速していますし、観客ゼロ回も珍しい話では既にありません。北の小さい町の中学校教師になったPFFの元スタッフに聞いた話ですが、子どもたちに将来なりたい職業を聞くと、多くが保育士や介護士と答えるそうです。それは周りに、具体的に描ける仕事がそういったものしかないからだと思います。これからクリエイティブなことを考え、まだ見ぬ未来を創る若い人たちが、その力を伸ばすために何ができるかというのは、あらゆる世界での大きなテーマでしょう。あ、話が少し逸れてしまいましたね。

Q 作り手としてPFFアワードに応募してくる作品や監督の傾向はいかがでしょう。

A荒木啓子作品の題材が世の中の傾向を受けることはあります。でも、一番大きな変化は、自主映画が映研では作られなくなって、その代わりに学校で作られるようになったということですね。昔は映画研究会があって、映画好きな学生が手探りで作っていました。それが、20世紀末頃から映画を教える学校が爆発的に増えて、学校映画になってきました。今は指導者がいて、機材が手に入ってスタッフもいるようになったので、クオリティは確実に上がっています。あとは何を描くかを恐れずに進めるかですよね。そして、みんなやるなら監督になりたいので、そういう人たちを差し置いてやるだけの強い意志が必要ですね。更に、昔は映画会社の雇用のもとにある「映画監督」という目標がはっきりありましたが、いまはその仕事の捉えどころ自体が曖昧になっている苦労が生まれていると思います。

Q PFFを観に来る方たちの傾向に変化はありますか。

A荒木啓子70年代、80年代は、自主映画を作っている人たちがこぞって観に来ていたと聞きます。いまは作っている人はあまり観に来ないようですね。応募いただいた方には招待券を送っているのですが、あまり使われていなくて残念です。作るけれども観ない、というのはものすごく大きな変化です。90年代はモノづくりに興味にある人たちが多かったです。いまは俳優・女優になりたい人が観に来ることが多いようです。映画学校にも俳優・女優コースがありますので、自主映画で演じることを普通に捉えている層が拡がっているのかもしれません。自主映画に出るための俳優登録サイトのようなものもあるので、昔、自主映画を作っていたという人には想像のつかない世界だと思います。

Q 映画館の果たす役割、としてはいかがでしょう。

A荒木啓子「映画は映画館でかかるもの」という概念は崩れていますので、複数人で映画を観るという体験をしない人もすでにいると思います。「映画に誰も連れて行かない」という習慣が20世紀末くらいから始まっているのだと思います。でも、その体験はあった方がいいと思います。映画は非日常のものであると同時に、大きなスクリーンを前提に作られているので、ぜひ映画館で観てほしいと思います。私はよく「一人では来ないでね」と言っています。「隣に座らなくていい、いっしょに食事もしなくていい、ともかく初体験者を誘って欲しい」と(笑)。学校も動員しなくなりましたからね。いま、海外の映画祭では子ども部門を作って学校に動員をかけているんです。日本もそういう危機感が欲しいですね。文化や人生に対する危機感がないと、ひいては映画が面白くなくなって、優秀な人は海外に行ってしまうので、他の業種と同じように空洞化して、最後には国が滅びてしまう、ということまで考えてしまいます。これからはぜひ一人では映画館に行かない運動を繰り広げてください(笑)。

Q 第40回目の見どころをお願いします。

A荒木啓子PFFアワード入選作品18作品だけでも、カンフー映画、アニメ映画、ドキュメンタリーなど、いろいろなジャンルがあります。招待作品も20本近くありますので、きっとお好みの映画があると思います。

Q荒木啓子さんからOKWAVEユーザーに質問!

荒木啓子皆さんは映画監督で観る映画を選びますか。監督でなければ何を基準に観る映画を選びますか。

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■Information

第40回ぴあフィルムフェスティバル

第40回ぴあフィルムフェスティバル(PFF)2018年9月8日(土)〜22日(土)国立映画アーカイブ
※月曜休館

PFFは、“映画の新しい才能の発見と育成”をテーマに、当時、まだ観る機会の少なかったインディペンデント映画の面白さを広く伝えるため、1977年にスタートした映画祭です。
メインプログラムは、第1回より続く世界でも珍しい自主映画のコンペティション「PFFアワード」。入選者の中からは、後にプロの映画監督として活躍する人たちが120名を越え、若く新しい才能が集う場所として、広く認知されるようになりました。

主催:一般社団法人PFF
独立行政法人国立美術館 国立映画アーカイブ
公益財団法人川喜多記念映画文化財団
公益財団法人ユニジャパン

前売り券発売中!
※前売券は、各上映の2日前まで販売します。
※当日券は、前売券完売の場合も一定数確保し必ず販売します(長瀬記念ホール OZUの上映回は50枚ほど、小ホール上映回は30枚ほどチケットを確保します)。
※当日券の販売は上映がスタートすると終了いたしますのでご注意ください。
※前売券の手数料が0円に!PFFが負担します。

https://pff.jp/40th/


■Profile

荒木啓子

荒木啓子 ぴあフィルムフェスティバル(PFF)総合ディレクター雑誌編集、イベント企画、映画&映像製作・宣伝等を経て、1990年PFFの一環として開催した「UK90 ブリティッシュ・フィルム・フェスティバル」でモンティ・パイソン特集を担当。その後、1992年にPFF初の総合ディレクターに就任し、コンペティション部門「PFFアワード」の応募促進や、入選作品選考システムに関する様々な改善、若い観客に向けた招待作品部門の充実を図る。
招待部門での巨匠監督の特集や映画以外の映像作家の紹介など、様々な試みを積極的に展開する。
また東京国際フォーラムのオープンからホールDを会場とした「PFF」や、PFF全国開催の推進など、自主映画の認知向上や上映拡大に努める。
加えて、日本の若い才能を世界に紹介することを目的に、PFFアワード、PFFスカラシップ作品の海外映画祭への出品を積極的に推進。近年ではPFF関連作品のみならず、日本のインディペンデント映画の海外紹介を務めるなど、映画による国際交流と海外での映画製作までを視野に入れた活動を実施している。