Vol.789 映画監督 アヌシュカ・ミーナークシ、イーシュワル・シュリクマール(ドキュメンタリー映画『あまねき旋律(しらべ)』)

映画監督 アヌシュカ・ミーナークシ、イーシュワル・シュリクマール(ドキュメンタリー映画『あまねき旋律(しらべ)』)

OKWAVE Stars Vol.789はドキュメンタリー映画『あまねき旋律(しらべ)』アヌシュカ・ミーナークシ、イーシュワル・シュリクマール共同監督へのインタビューをお送りします。

Q インド・ナガランド州フェク県に伝わる歌を取り上げられましたが、もともとこの地域についてはご存知だったのでしょうか。

Aドキュメンタリー映画『あまねき旋律(しらべ)』アヌシュカ・ミーナークシインド本土でナガランド州について知られているのは、軍事紛争やかつての首狩り族といったことです。そのようなステレオタイプな情報ばかりで、一般の方がどんな生活をしているのかについてはまったく知られていませんでした。私自身のナガランドへのイメージもそのようなものでしたし、当地にいく前に親から「治安は大丈夫なのか」と心配もされました。フェク県に行って初めてそこの文化を知りましたし、実際、行って怖い思いをすることもなく、友だちもたくさんできました。

イーシュワル・シュリクマールこの映画を観た人はフェクの棚田での農作業の様子を捉えて「ノスタルジックだ」という言葉を使いがちですが、できれば郷愁という感覚からは離れてほしいと思っています。むしろ共同体というものについて思いを馳せてもらいたいのです。一緒に何かをすること、一緒に歌うこと、一緒に労働することの価値を再確認してほしいという気持ちがあります。

Q インド各地のパフォーマンスを映画にしようとして、最後にたどり着いたフェク県のことだけで映画にしようとしたとのことですが、その衝撃や原動力は何だったのでしょうか。

Aドキュメンタリー映画『あまねき旋律(しらべ)』アヌシュカ・ミーナークシフェクで電撃的な出会いがあったから、というだけではなく、この旅自体はまだまだ続いていくものだと思っています。労働の歌はあらゆるところにあるんです。フェクで驚いたのは音楽自体の豊かさです。年齢に限らず、あらゆる世代の人が関わっている音楽がありました。労働と音楽というものを捉える時に、このペクが出発点になるのではと思いました。

イーシュワル・シュリクマール私にとってフェクが特別だったのは、歌っている人たちは自分たちにやっていたからです。伝統を守るためだとか、誰かに頼まれているからではないのです。その歌や労働の価値を自分たちで認識しているのが彼らのことを映画にしようと思った動機です。私たち自身は演劇の出身ですが、演劇でも完成した作品以上に、どのようにその作品に取り組むのかを重視してきました。フェクの人たちはまさにそのプロセスというものを大事にしているように思いました。

Q フェクの若者たちはその歌をどのように覚えていくのでしょうか。

Aアヌシュカ・ミーナークシ正式なトレーニングはないんです。文化の日というものがあって、そこに向けて新しい歌を覚える、ということはありますが、それ以外には日常生活の中で子どもたちが学んでいく様子でした。それこそ2歳くらいの子供が田んぼで歌っている姿もありました。歩き始める頃には何かしらの仕事が与えられて、自然に呼吸が歌になっていく様子も目の当たりにしました。

イーシュワル・シュリクマール映画を作り始めた時には、「なぜあなた方は歌うのですか」という質問をしていましたが、この映画を撮っている最後の方には「なぜ私たちは歌わないのだろうか」という問いに変わっていました(笑)。あまりにも労働と歌がくっついていました。多分、私は歌うこと以外のことを学んできたのでしょう(笑)。

Q 棚田での長回しのシーンでは、若者たちが歌いながら棚田を耕していましたが、仕事の効率も上がっているように見えました。

Aアヌシュカ・ミーナークシその通りです。大きなグループではなく、二人や三人で働いている時や、老人が働いている時もそうですが、歌っていなくても、呼吸でリズムを取っている様子が見られました。それが肉体的に重要な反応なのかもしれません。何人かに「あなたにとって歌とは何ですか」と聞くと、「僕は歌なんて歌ってないよ」と答える人もいました。彼らにとっては農作業をしている時の呼吸や発声であって、仕事と密接に関わっているので、歌だと認識してはいないのだと思いました。

Q 数年間の撮影期間に彼らには何か変化はありましたか。

Aアヌシュカ・ミーナークシこの数年間だけでも労働の単位でグループが集まりにくくなっているのは感じました。それは気候の影響もあるかもしれませんし、より大きな希望を持って村を出ていく人もいたからです。とはいうものの、村を出た人も田植えや収穫の時期には戻ってきて手伝ってはいました。いずれにしても、事情は変わってきていて、1年を通してのグループではなく、ある期間だけ一緒になって労働するという様に変わってきているのかなと思いました。

Q 監督たち自身はこの映画からどんな気づきがありましたか。

Aドキュメンタリー映画『あまねき旋律(しらべ)』アヌシュカ・ミーナークシ撮影が4、5年続いた中で、ある時、イベントを企画しました。彼らの中から20人くらいを選んでボンベイで開かれたコンサートに参加したんです。

イーシュワル・シュリクマール村の長老のような方に出演してもらう20人くらいのメンバーを選んでいただきました。その中には私たちも知らない人も含まれていたんです。村の中には10の部落があって、どの部落からも選んでいて、男女のバランスもよく、歌の上手い人だけではなく下手だけど好奇心のある人や、中には看護師も含まれていました。全体としてバランスの取れた最も効果的なメンバーを選んでくれたことに感激しました。民主主義というものは数だけではなく、ある種のバランスも考慮されているのだと感じました。

アヌシュカ・ミーナークシそのコンサートはお客さんもたくさん来てくれて楽しんでくれて素晴らしいものになりました。村を離れるのは初めてという人たちもいて、海を初めて見たという人もいて、フェクの方たちにも楽しんでいただけたようです。

Q 映画監督としての気づきや、注意したことなどはいかがでしょうか。

Aドキュメンタリー映画『あまねき旋律(しらべ)』アヌシュカ・ミーナークシ私たちにとって一番困難だったのは録音のクオリティでした。良い機材を持っていたわけでもないですし、私たちはまだまだ経験が豊富でもありません。みんなが歌っているとおりに録音できているかが心配でした。ですが、編集の段階で優秀なサウンドデザイナーの方々が参加してくれて、彼らは音源を何度も聴き直して、私たちが録ったラフなステレオ音源を、まるで目の前で歌われているかのような豊かな音源に再構築してくれました。彼らの仕事のおかげで素晴らしい映画になったと思います。

Q OKWAVEユーザーにメッセージをお願いします。

Aイーシュワル・シュリクマール私たちは観客の皆さんと作品を通じて知り合うことを最上の喜びとしていますので、ぜひ映画を観て感想などを聞かせていただけたらと思います。

Qイーシュワル・シュリクマール監督からOKWAVEユーザーに質問!

イーシュワル・シュリクマールあなたが歌うのはいつ、どんな理由でしょうか。逆にもし歌わなくなったのだとしたら、それはどんなタイミングと理由だったのでしょうか。

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■Information

『あまねき旋律(しらべ)』

ドキュメンタリー映画『あまねき旋律(しらべ)』2018年10月6日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開

インド東北部、ミャンマー国境付近に位置するナガランド州。そこに広がる棚田には、いつも歌が響いている。村人たちは信じられないほど急な斜面に作られた棚田の準備、田植え、穀物の収穫と運搬といった作業を、機械が入りにくい土地のためすべて人力で、グループごとに行っている。そして、その作業の間はいつも歌を歌う。季節の移り変わりの豊かさ、友愛の歌、その他、生活のすべてを歌で表現している。農作業をしている最中、一人が声を発すると、それに続けて他の一人も歌いはじめる。女性も男性も一緒になって掛け合いながら歌われる「リ」と呼ばれるその歌は、山々の四方八方に広がっていく。田畑も、恋も、友情も、苦い記憶も、すべてが歌とともにある。

監督:アヌシュカ・ミーナークシ、イーシュワル・シュリクマール
配給:ノンデライコ

http://amaneki-shirabe.com/

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■Profile

アヌシュカ・ミーナークシ、イーシュワル・シュリクマール

映画監督 アヌシュカ・ミーナークシ、イーシュワル・シュリクマール(ドキュメンタリー映画『あまねき旋律(しらべ)』)インド南部・ポンディシェリを拠点に活動。アヌシュカ・ミーナークシは映像作家でありつつ、地域でビデオ制作を教えたり、演劇の音響も手掛けている。イーシュワル・シュリクマールは俳優として活動する傍ら、劇場の照明、音響デザイナーでもある。2011年に始めた活動「u-ra-mi-li(我が民族の歌)プロジェクト」では、日々の生活や労働と音楽やパフォーマンスとの関係に関心を寄せながらインド各地を回りながら撮影を進め、その過程で生まれた作品『あまねき旋律(しらべ)』(原題:Kho Ki Pa Lü/英題:Up Down and Sideways)は世界の映画祭で上映が続いている。