OKWAVE Stars Vol.791は映画『僕の帰る場所』(2018年10月6日公開)藤元明緒監督へのインタビューをお送りします。
Q 本作の経緯についてまずはお聞かせください。
A藤元明緒当初は僕が立ち上げた企画というわけではなく、5年前にプロデューサーの渡邉一孝さんと來河侑希さんが「ミャンマーで映画を撮りたいので監督を募集します」というネット募集をしていたんです。当時の僕は「ミャンマーってどこにあるんだろう」というくらいでしたが、映画を撮りたい気持ちと面白そうという気持ちで応募して選んでいただきました。そこからまずは僕と渡邉さん、キタガワさんの3人でミャンマーに行った、というのが始まりです。それが2013年夏の話です。
Q 本作に向かってどう結実していったのでしょう。
A藤元明緒元々はミャンマーで全編を撮るという話でしたが、ストリートチルドレンや娼婦といった、撮りたい題材はあったものの、当時のミャンマーの政権では絶対に撮ることができないような題材だったので断念せざるを得ず、一度その企画は頓挫してしまいました。僕自身どうしようかと思いながら高田馬場にあるミャンマー料理のレストランに行ってみたら、そこで初めてミャンマーの人たちが日本にもたくさんいることを知りました。ミャンマー語が少し話せるようになっていたこともあり、ミャンマーの方々と話してみると、ほとんどの方が難民か難民申請中の方でした。難民申請の愚痴などを聞かされて、入国管理局にボランティアに行った時にこの映画のモデルとなるミャンマー人のお父さんに出会いました。そのお父さんからは、家族で日本に来たものの、子どもはお母さんとミャンマーに帰ってしまっていて、でもその子どもはミャンマーに馴染んでいないという話を聞かされました。その話を聞いてピンときました。その子どもが気になってお父さんに住んでいるところを聞いて、ミャンマーのヤンゴンまで会いに行ったら、子どもはもう馴染んで生き生きとしていたのですが(笑)、この壮大な引っ越しをこの子はどう乗り越えたのだろうと思って、再現ドラマではありませんが、自分でも観てみたいと思いました。それで企画を立ち上げて、スタッフが再集合しました。
Q 実はOKWAVE Starsではその高田馬場のレストランの方々も出演されているドキュメンタリー映画『すぐそばにいたTOMODACHI』を取材してました!映画の話に戻りますが、起用したミャンマー人家族はプロの役者ではないそうですね。
A藤元明緒そうです。ですので撮影前に家族役の皆さんにはちゃんと家族に見えるように関係性を作ってもらうのが最大の演技指導でした。お父さん役のアイセさんは実際には独身なので、まずは子どものことを好きになってもらうところから始めました。子ども役からすると知らないミャンマー出身のおじさんをお父さんとして迎えなければならないので、そういう壁を崩す作業を撮影前の1ヶ月間でやってもらいました。それがあったので、撮影が始まったときには家族のような信頼関係ができていました。アイセさんには撮影1ヶ月前から、撮影場所となる一家のアパートに実際に住んでもらいました。僕の私物の冷蔵庫とか家具を入れて(笑)、アイセさん自分の部屋のように並び替えてもらって、実際に住んでいるようにして撮影に入りました。
Q 子役二人がいい表情でした。
A藤元明緒6歳と3歳の兄弟、という条件は絶対に譲れませんでした。それは実際の子どもがその年齢だったからですが、あまり年上だとアイデンティティの物語にならないからです。探しても東京には2、3組しかいませんでした。その1組がこの2人です。最初に会った時は、弟のテッ君はともかく、お兄ちゃんのカウン君は太っていて、正直なところ第一印象は今ひとつでした(笑)。でも他にいないとなって、お母さんに許可をいただこうと会いに行ったら、お母さんのケインさんが脚本にぴったりで、母子で出ていただくことになりました。撮影はほぼ、脚本の順番に進めていたので、カウン君の出番は少し経ってからでした。カウン君に指示を出すと「はーい」とすぐにやってくれて、やっていくうちに僕もスタッフもみんな「この子はすごいんじゃないか」と思うようになりました。難しいことを言っても「はーい」と二つ返事でうまくやってくれるので、段々みんなカウン君のことを大好きになりました(笑)。
Q 後半はミャンマーへの里帰りが描かれますが、彼ら自身はミャンマーと日本を行来しているのでしょうか。
A藤元明緒カウン君とテッ君は日本生まれの兄弟ですが、年末年始など長期の休みの時には帰国しているそうです。実際にはミャンマーが大好きなので、カウン君のセリフにある「ミャンマーの町が汚い」と言うのをいやがって、お願いして言ってもらいました(笑)。カウン君は映画同様にミャンマー語はほとんど話せないそうですが、リスニングはだいたいできるそうです。
Q 撮影で一番大変だったことは何でしょう。
A藤元明緒本当にいろんなことが起きましたが、撮影では後半ですね。前半の日本でのシーンはお父さんとお母さんが主人公でアイセさんが他の家族を引っ張っていました。ミャンマーに行ってアイセさんの出番がなくなると、カウン君がプレッシャーに感じてしまったようです。 日本とミャンマーでの撮影は2ヶ月間でしたので、カウン君のケアにはかなり気を使いました。撮影がなかったお母さんとテッ君が遊びに行っているのにカウン君だけ撮影があって「俺も行きたい〜」と大泣きしてしまったこともありました。
撮影前はアイセさんとテッ君が親子になってくれるかが大変でした。テッ君がなかなかアイセさんを「パパ」とは呼んでくれなくて、解決しないまま撮影が始まってしまったのですが、偶然呼んでくれたので無事に撮影できました。
それと、これはミャンマーならではですが、検閲が大変でした。毎日、政府の情報省から検閲の方が来て、ちゃんと事前に提出した脚本通りに撮影しているか、撮影して良い場所だけで撮影しているかをチェックしていました。日本人からすると監視がつくというのはあまりない感覚でした。でも、カウン君たちがどこに動くかわからないので、前もって正確には伝えられなかったので、「何で君たちは脚本通りに撮らんのだ」と一度ものすごく怒られました。そこはプロデューサーの渡邉さんがうまく説明してくれて「そういう柔軟性も国の発展には必要だ」と言いくるめていたのも今になっては面白い経験でした。それを考えると、使用許可や撮影許可などの手続きはありますが、簡単に自由に撮れる日本はいいなと思いました。
Q 市場など、周りに人がいる環境での撮影はどうだったのでしょう。
A藤元明緒そこは日本と同じように事前に撮影だと伝えて少し空けてもらって撮影しました。でも僕も正確にミャンマー語を把握できていたわけではないので、後で撮影した映像を見ていると「日本人がいるぞ」「こっちで撮影しているぞ」という声が入っていました(笑)。でも、みんないい人たちで、僕らのことを喜んで迎えてくれました。
Q カウン君らが帰った先のミャンマーの親戚は本当の親戚なのでしょうか。
A藤元明緒親戚ではない方々です。親戚役ということでオーディションも行ったのですが、うまくいきませんでした。それで、初めてミャンマーに来た時に同行してくれたタクシーの運転手さんがケインさんと何となく顔の雰囲気が似ていたので、家まで行って出演の交渉をして、ケインさんのお兄さん役で出演してもらいました。その家の雰囲気もぴったりだったのでそのまま使わせてもらえました。
Q 「家族」という題材についての興味は元々あったのでしょうか。
A藤元明緒大学生の頃から家族の成り立ちや家族ならではの問題ということに関心がありました。初めて撮った短編も家族モノだったので、興味はずっと持っていました。家族の私生活はなかなか覗けないものなので、不思議なものだと思っていました。最大のプライベート空間ですし、そこに個人の生き方が見えてくるんじゃないかと。それで家族の映画を撮っていくことにしました。この映画のモデルになった子はお母さんのことをかなり罵ったりしたこともあるそうですが、今ではとても仲が良くて、どう仲良くなっていったのかを知りたいという気持ちが大きかったです。
Q 本作を撮られて監督自身は何か発見や再認識したことはありましたか。
A藤元明緒やはり家族は一緒にいることが大事だということです。そこが他人との関わりの違いだと思います。一緒にいられるというのは、結果的にいいことで、それができない環境も世界にはたくさんあります。当たり前のことが当たり前にできるようになってほしいなと、この映画を作り終えて改めて思いました。
Q キャストの皆さんの変化は何か感じましたか。
A藤元明緒そこはまだ話せていない部分です。でも、アイセさんは撮影前よりも子ども好きになっていました。独身を楽しんでいたようですが、寂しくなってしまったようです(笑)。カウン君とはこれから話したいです。実はテッくんは撮影前と撮影中で性格が変わってしまいました。やはりストレスがあったようで、お母さんにものすごく反発するようになってしまって、お母さんはそれをなだめるのに撮影後しばらくは大変だったようです。
Q 編集にも2年かけられましたが、結果的には脚本どおりになったとのことですね。
A藤元明緒脚本にない素晴らしいものが、特に子どもパートでたくさん撮れたので、それをどう入れたらいいか悩んで試して、結果的にあまり入りませんでした(笑)。例えば、お母さんとお父さんがケンカをするシーンがありますが、その夜にストレスが連鎖するようにカウン君とテッ君がケンカをしてしまうシーンを撮りました。お母さんがぐったりして寝ている隣でテッ君がエスカレートしていく様子が映像的には面白かったのですが、他のシーンと合わなくて使えませんでした。お父さんが日本人支援者に愚痴を言いながら涙をこぼすシーンでは思わずアイセさんが号泣してしまったのですが、ドキュメンタリー的だったので何とか使いたかったのですがそれも入れられませんでした。それと幻のシーンがあって、ミャンマーの学校でカウン君が50人対50人の100人でサッカーをやる、という壮大な場面がラストシーンの予定でした。予算も手間もかけて撮影したものの、カウン君が楽しんでいて馴染みすぎていて使えませんでした(笑)。でもスタッフからは一番お金がかかって苦労もしたので「そこは切らないで」という声がたくさんありました(笑)。その代わりではありませんが、台本になくて入ったのがラストシーンです。それが撮れた時はこれがラストシーンになるなと思いました。事前に決めたことではなく、思いがけないことが起きてそれを撮影できたので、フィクションという嘘から出た真実が収められて、楽しかったです。日本ではなかなかそういう撮影は許されないので、それを2ヶ月に渡ってやらせていただいて、恵まれていました。スタッフやプロデューサーはいわゆる日本の映画の現場しか知らないので、脚本を離れて撮影を続けたり止めないことに「意味がわからない」「ちゃんとしてください」とよく言われました。「次は照明はどこに当てればいいですか」と聞かれても僕と撮影監督の岸建太朗さんは「カウン君が動かないとわからない」と答えが噛み合っていなくて、既存の映画づくりからいい意味で脱線してチームとしてできるか、今考えるとそれが一番大変でした(笑)。
Q 現在はミャンマーに拠点を置かれているそうですね。
A藤元明緒数週間滞在してもわからないことがありますし、住んで分かることもあるので、自分とミャンマーの関わりがどう変わっていくのか、まだ住み始めて数ヶ月ですが、ひとつ夢がかなったところです。そこではラウェイという1,000年以上の伝統がある格闘技についての番組を製作しています。立ち技最強と言われて、日本でも紹介されているのですが、そのラウェイの魅力をミャンマー国民に伝える番組を作っています。
Q 映画は準備、撮影、編集と長い期間をかけて作り上げていくものですが、そういう作品作りについてどうお考えでしょうか。
A藤元明緒製作している間は時間がかかっているなと思いましたが、いざ完成してみると、時間がかかったという感覚はあまり感じません。でも、2年前に撮ったものを映画館での公開を目指して作る、というのは映画ならではの取り組みだと思います。特定の場所を目指すというのは効率が悪いように捉えがちですが、作ったものをどこかに届けるということには独特の物量感のようなものを感じています。
Q ミャンマーの現在についてお聞かせください。2018年のミャンマーのおすすめの場所などはいかがでしょう。
A藤元明緒首都のヤンゴンは必ず通りますが、それ以上に、複数の地方を回ると面白いと思います。地方ごとに別の国に来たくらいに町並みも住まいも食べているものも着ているものも違います。民族も多彩ですが、いろんな顔が見えるのが魅力的です。撮影当時と2018年でもずいぶん変わってきています。撮影当時はジーンズを履いている人はほとんどいませんでしたが、今では当たり前になっています。逆に伝統衣装のロンジーを履いている人が少なくなっています。とくに若い人のロンジー姿はほとんど見られないので、10年後には町中からはなくなっているかもしれません。
ミャンマー料理で日本にあれば受けそうなのがココナッツのラーメンで、オンノカウスエという料理です。
Q 藤元明緒監督からOKWAVEユーザーにメッセージ!
A藤元明緒日本ではTV番組などで外国人に注目する機会がまた増えているようですが、この映画は日本とミャンマーの合作ではありますが、ミャンマーや人種といったことは取り払って観ていただきたいです。家族の当たり前の部分をあらためて映画館で体験できる作品になっています。年齢やジャンルに関係なくさまざまな方に観ていただきたいです。そしてぜひミャンマーにも来てほしいです。
■Information
『僕の帰る場所』
2018年10月6日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開!
東京の小さなアパートに住む、母のケインと幼い二人の兄弟。入国管理局に捕まった夫アイセに代わり、ケインは一人家庭を支えていた。日本で育ち、母国語を話せない子ども達に、ケインは慣れない日本語で一生懸命愛情を注ぐが、父に会えないストレスで兄弟はいつも喧嘩ばかり。ケインはこれからの生活に不安を抱き、ミャンマーに帰りたい想いを募らせてゆくが——。
世界的な関心事項である”移民“という題材を、ミャンマーでの民主化の流れや在日外国人の家族を取り巻く社会を背景に描く。出演者の多くには演技経験のないミャンマーの人々を多数起用。まるでドキュメンタリーを思わせる映像は、ミャンマー人一家の生活を優しく見守りつつ、彼らが置かれた厳しい環境をありのままに映し出すシビアな眼差しで貫かれている。
英題:Passage of Life
脚本・監督・編集:藤元明緒
出演:カウン・ミャッ・トゥ、ケイン・ミャッ・トゥ、アイセ、テッ・ミャッ・ナイン、來河侑希、黒宮ニイナ、津田寛治 ほか
配給:株式会社E.x.N
©E.x.N K.K.
■Profile
藤元明緒
1988年大阪府生まれ。
大学で心理学・家族社会学を学んだ後、ビジュアルアーツ専門学校大阪・放送映画学科に入学。卒業制作である短編映画『サイケファミリア』が、ドバイ国際映画祭、なら国際映画祭などで上映。長編初監督作品となる、『僕の帰る場所』を日本ミャンマーを舞台に5年の月日をかけ完成させる。現在、制作拠点をミャンマー・ヤンゴンに移し、日本ミャンマー合作映画制作のマネージメントやTVドキュメンタリー制作のディレクターに携わる等、国際的に活動している。