Vol.940 映画監督 太田隆文(ドキュメンタリー映画『ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶』について)

映画監督 太田隆文(ドキュメンタリー映画『ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶』)

OKWAVE Stars Vol.940はドキュメンタリー映画『ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶』(2020年7月25日公開)太田隆文監督へのインタビューをお送りします。

Q 本作を手がけられたきっかけをお聞かせください。

Aドキュメンタリー映画『沖縄戦』太田隆文もともと僕は青春モノの映画を撮っていましたが、2013年には原発事故を描いた『朝日のあたる家』という映画を撮り、その後は家族ものの映画を撮ってきました。どの映画でも、子どもたちの抱える悩みや現代と過去の対比などを通じて、社会との関わりの問題意識を描いていました。『沖縄戦』も同じテーマを持つ題材。オファーをいただいたので引き受けさせていただきました。

Q どんなところに力点を置こうと考えましたか。

A太田隆文監督を引き受けた時点では僕自身が沖縄戦のことを映画『ひめゆりの塔』を観たくらいで何も知りませんでした。というのも、学校の日本史の授業では太平洋戦争を習う頃は3学期。時間がなくなりバタバタと終わります。特に沖縄戦は「日本唯一の地上戦であった」というくらいの扱い。だからほとんどの日本人は僕と同じように沖縄戦を知らない。それなら、僕がしっかり勉強をしてからスタートするよりも、取材期間も3年間ありますし、学びながら作っていけば、観客も、僕と同じようにゼロから沖縄戦を知ることができる映画になるのでは?と考えました。

Q ガマ(洞穴)に避難した方々の運命が大きく変わっていったことをはじめ、当時の証言をどう伝えようと考えましたか。

Aドキュメンタリー映画『沖縄戦』太田隆文戦跡を訪れ説明を受けても最初は当時をイメージできませんでした。場所としては単なる洞穴や台地ですから、そこで何人もの方が死んだと言われても想像しづらい。単にその場所を撮影しても伝わらない。案内の方は詳しく説明してくれるのですが、その方の話をカメラで捉えても観客は「そうなんだ…」と思うだけで強い印象が残らないのでは?と感じました。どうすれば伝わるか?それがスタートでした。歴史的な場所に行って何かを感じるのはドラマなどで仮想体験しています。「この旅館で坂本龍馬が暗殺されました」と聞くと、龍馬のドラマを思い出し、「あーあの場面がここなんだ!」と感動する。でも、沖縄戦のドラマや映画は本当に少ない。『ひめゆりの塔』『激動の昭和史 沖縄決戦』くらいしかない。見ていない人も多いのでイメージしづらい。どんな表現をすれば伝わるか?と考えました。
いろいろな方に取材していく中で、戦争体験者の言葉がやはり重いと感じました。対馬丸事件で一命をとりとめた方や、集団自決を踏みとどまった方の話は、強く伝わってきます。今回のナレーションをお願いした宝田明さんも満州から引き揚げて来られた体験を持つので説得力があるし、重い。知識ではなく、体験した人の言葉を中心に記録することが大事と感じました。ただ、当時を知る方は80代90代の方々。80代の方は当時5歳6歳なので、細かい部分までは覚えていません。90代の方は当時15歳くらい。中学生なのでよく覚えている。でも、90代でご存命の方は多くありません。いずれの世代にしても、10年後20年後にまた取材することは難しい。今、お話を伺わないと、もうお会いできないかもしれない。そう感じて、彼ら彼女らの体験談を中心に記録していこうと考えました。

Q 時系列に沿って進んでいきますが、とくに掘り下げようと思ったところはいかがでしょうか。

A太田隆文基本的には時系列にしましたが、そうなっていない部分もあります。教科書の勉強がつまらないのは時系列だからです(笑)。僕は劇映画の監督なので、お客さんを退屈させてはいけない。最後まで興味を持って観てほしいと思う。それを観客に強要するのではなく、作品自体を退屈しない形で描くことが必要だと考えます。全てを時系列で描くと同じような戦闘が続いたり、興味を持続するのが難しい。なので、合間に現代のパートを入れたりして、「え、今の沖縄?」と観客の予想を裏切ることで最後まで退屈せずに見てもらう構成にしてあります。そして、特定のどれかを掘り下げるということはせず、どれも心に刺さる悲劇なので、掘り下げるというより、沖縄戦を知らない人たちに沖縄戦の全貌を伝えることに重きを置いています。

Q 米軍が撮った映像はどの様に入手されたのでしょう。

Aドキュメンタリー映画『沖縄戦』太田隆文大田昌秀知事時代に1フィート運動が進められました。米軍が沖縄戦時に撮影した16ミリフィルムとスチール、それらの権利を買おうという運動で、沖縄公文書館に保存し、報道や映画で使う際には無料で貸し出しするというもの。それによって沖縄戦を風化させずに伝えていくという取り組みをしています。膨大な映像がある中からインタビューと照らし合わせて、それに合う映像を探し出してお借りしました。戦争中に記録映像を撮っていた米軍もすごいと思いますが、大田知事のおかげでそれらが沖縄で保存されていた。そのことで、沖縄戦をよりリアルに伝える作品にできたと感謝しています。

Q 沖縄戦の歴史を沖縄の皆さんはどう感じているのでしょうか。

A太田隆文僕の父も祖父も戦争には行っていないし、周りで家族が戦争に行ったという話を聞く機会はあまりありません。それが沖縄で話を聞いてみると、3人に1人くらいから「おじいちゃんが戦争に行った」「誰々が戦争で死んだ」と言われます。そこからもう戦争に対する向き合い方が違ってくる。ただ、同時に沖縄でも若い人は知らない人が増えていると聞きます。「おばあちゃんは、すぐ戦争の話をするから嫌だ…」という若い人も多いし、辺野古のデモに行くおじいちゃんのことを「恥ずかしいからやめて」という子ども達もいます。学校関係者からも、「昔は体験者の方に来てもらい、授業で話をしてもらった。でも、どんどん亡くなっていく。また、教師側も戦争を体験していない世代なので、どうやって子ども達に沖縄戦を伝えるのかが課題となっている」と聞きました。そのために沖縄戦を知らない世代が増えていっている。僕はこの『沖縄戦』を作った当初は東京や大阪などの若い世代に観てほしいと思っていましたが、それだけでなく沖縄の若い人に観てもらいたい、という思いが今はあります。

Q ナレーションを宝田明さん、斉藤とも子さんに託した意図をお聞かせください。

A太田隆文ナレーションは、ただ上手に読むだけではなく、作品の背景を理解しているかどうかも重要。昔の戦争映画で兵隊役の俳優が力強いのは、本当に戦争に行った経験がある方が多かったから。テレビドキュメンタリーでも最近は俳優がナレーションを務めることが多いのは、アナウンサーのように上手ではなくても、言葉の表現力があり、伝える力が大きいから。ならば、戦争の知識や経験がある俳優さんが相応しいと、あのお二人に依頼しました。宝田さんは満州から命からがら引き揚げてきた経験をお持ち、斉藤とも子さんは『ひめゆりの塔』に出演して、本物のひめゆり学徒から体験談を聞いています。それ以来、戦争に関心を持って勉強し、いろいろな活動をされている。そんな風に「思い」がある方にお願いしました。宝田さんはナレーション収録時、「最後には涙が零れた。映像を見ていて自分の子ども時代がダブった」とおっしゃっていました。そんなお二人のナレーションがより深く沖縄戦を伝えてくれたと思えます。

Q 太田隆文監督からOKWAVEユーザーにメッセージ!

A太田隆文『沖縄戦』と言うと、歴史の勉強かと思うかもしれませんが、過去だけではなく今の日本が見えて来ます。さらに日本だけでなくアメリカという国も分かって来る。そして日本人というもの、政府というもの、軍隊というもの、戦争とは何なのか?、そんなことも見えてきます。今、我々が直面しているコロナウイルス問題。同じ構図が沖縄戦の中にもあります。この日本の中でどう生きていくのか?のヒントが見つかる映画になっているので、ぜひ観ていただきたい。

Q太田隆文監督からOKWAVEユーザーに質問!

太田隆文1853年にアメリカのペリー提督が黒船で日本の浦賀にやってきましたが、その前に沖縄(琉球王国)に寄っていることを皆さんご存知でしょうか。また、なぜ沖縄に寄ったのか、それがどう沖縄戦と関係するのか? 理由を知っていたらぜひ回答してください。

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■Information

『ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶』

ドキュメンタリー映画『沖縄戦』2020年7月25日(土)より新宿K’s cinemaにてほか全国順次公開

日本、唯一の地上戦が行われた沖縄戦。それを描いた映画やドラマは少ない。学校の授業でも駆け足で終わる。そのため多くの日本人は沖縄戦をほとんど知らない。それは子供達には伝えられない凄惨と絶望。そして禁断の背景があるではないか?当時、負け続けていた日本軍は本土決戦準備の時間稼ぎのため、沖縄を捨て石にした。十分な兵力と武器も送らず、米軍50万8千人に対して、日本軍は11万6400人。「1人が5人殺せば勝てる!」と精神論で戦わせた。さらに足りない兵を補充するため、沖縄県民の14歳から70歳まで、徴兵されていない女性、子供、老人をも徴用。戦闘協力を強制。結果、全戦没者20万656人の内、沖縄県出身者12万2282人。当時の人口で言えば4人に1人が死んだことになる。さらには、軍の強制による集団自決。死に切れない子供を親が自ら手を下し殺す。そんな地獄絵が展開。その当時を知る体験者、専門家の証言を中心に、米軍が撮影した記録フィルムを交え紹介。上陸作戦から、戦闘終了までを描く。監督は原発事故の悲劇を描いた劇映画『朝日のあたる家』(山本太郎出演)で話題となった太田隆文監督。原発事故に続き、沖縄戦をドキュメンタリーで描く。『アメリカが恐れた男 その名は瀬長カメジロー』『沖縄スパイ戦史』『主戦場』に続く、戦争ドキュメンタリー作品の傑作。2019年12月9日、10日に沖縄での完成披露上映会には1000人を超える県民が来場した本作がついに劇場公開決定。

ナレーション:宝田明 斉藤とも子
監督:太田隆文
配給/宣伝:渋谷プロダクション

公式サイト:http://okinawasen.com/


■Profile

太田隆文

映画監督 太田隆文(ドキュメンタリー映画『沖縄戦』)1961年生まれ。
『スターウォーズ』のジョージ・ルーカス監督らハリウッド監督の多くが学んだ南カルフォルニア大学(USC)映画科に学ぶ。映画『ストロベリーフィールズ』(2005年、佐津川愛美、谷村美月)で映画監督デビュー。その後、青春モノを次々に撮るが、2013年には原発事故を題材にした『朝日のあたる家』を監督。山本太郎が出演したことも話題となる。その後、映画『向日葵の丘 1983年夏』(常盤貴子)、『明日にかける橋 1989年の想い出』(鈴木杏、板尾創路)等を監督。地方を舞台にした感動作を作り続け、全ての作品が世界の映画祭で上映されている。今回は初の長編ドキュメンタリー。原発事故に続き、沖縄戦の悲しみを伝える。